2018年4月30日に放送されるNHKの番組『ノーナレ』は京都が舞台になっています。紹介されるのは、京都市在住の猟師「千松信也」さんです。京都大学在学中にワナ猟の師匠・角出博光さんからワナ猟を学び、2001年に甲種狩猟免許(わな・網猟免許)を取得。網猟も京都市南部(巨椋池)で鳥の網猟をする宮本宗雄さんから学んで、今は京都市西部(嵐山・嵯峨付近と思われる)の寺の本堂を借りて、家・狩猟小屋に改築して狩猟生活と普通の生活をされています。
千松信也さんの著作2冊は過去に読んだことがあって、前にもテレビで紹介されていたりしたのですが、今回は全国放送のNHK『ノーナレ』で紹介されるとのことで楽しみです。
京都のワナ猟師「千松信也」さんがNHK『ノーナレ』で紹介されます
2018年4月30日放送『ノーナレ』で、京都市在住のワナ猟師「千松信也さん」が紹介されることになっています。
タイトルは「けもの道 京都いのちの森」となっており、市街からも近い山の「けもの道」に罠を仕掛けて狩猟をする生活に密着した取材内容になっていました。
獲物は「イノシシ、鹿」といった野生動物で、獲物が通る細い道(けもの道)にワナ「くくり罠」を専門に仕掛ける猟師さんです。
京都は山に囲まれた「京都盆地」にあり、西は「西山」、東は「東山」、北は日本海までずっと山が続く場所でもあります。
そんな京都では、街中にもイノシシが降りてくることがあり、2017年5月~12月にかけて合計5回もイノシシが東山地区に現れて騒動になったのは記憶に新しいことでしょう(その時の記事)。
京都市街地までイノシシが下山してくるのは、山林での食糧不足が原因だと言われています。
イノシシや鹿などが増加し、山林を食い尽くして人里まで降りてくるとされていますが、これは野生動物が単純に増加したという話ではありません。
その大きな原因は「人」によってもたらされているのです。
今回の『ノーナレ』に出演する「千松信也さん」は、そういった事情も十分把握された上で、仕事を別にもちながら猟師という仕事もして「自分が食べる分だけを狩る」という生活をし続けている方です。
千松信也さん経歴や人生観が書かれた本『ぼくは猟師になった』
千松信也さんは、1974年(昭和49年)兵庫県生まれで、京都大学文学部に在籍中に「くくりワナ猟、網猟(無双網猟)」を猟師から学び、その後も運送会社などに勤めながら現役猟師として活動されている方です。
2008年に出版された『ぼくは猟師になった』は、千松信也さんの著作で、この本には作者の千松信也さんの幼少からの人生観や大学生活、そして猟師になった理由などが興味深く書かれています。
・京都大学文学部に在籍
・大学生の時に、くくりワナ猟、網猟(無双網猟)を先輩猟師から学ぶ
・2001年に甲種狩猟免許(わな・網猟免許)を取得
・会社勤めをしながら現役猟師をして生活している
・京都市在住
・2008年に著作『ぼくは猟師になった』を出版
・2015年に著作『けもの道の歩き方』を出版
千松信也さん、なかなか面白い経歴の方です。
京都大学に入学後に学生寮「吉田寮」に住むのですが、自治会の活動や学生の道楽で数年間過ごし、その後4年間も休学して海外を放浪してNGOなどに参加するなどの青春時代を過ごされています。
帰国後、復学のために運送会社でアルバイトするのですが、そこの先輩で角出博光さん(すみでひろみつ)という方がたまたま狩猟をされる方だったことから、角出さんからワナ猟を学びます。
元々、ライフル猟は性に合わないとのことで、ワナ猟や網猟に興味を持っていたのですが、これをきっかけに千松信也さんは猟師という人生を歩いていくことになります。
その後、京都市南部(巨椋池だとおもいます)で鳥の網猟をする宮本宗雄さんと出会い、その方から網猟を学びます。
千松信也さんの狩猟に対する姿勢は、動物から命をもらっているのだから「自分で消費する分だけ」を狩るという考え方です。
獣害対策で大量に処分するような狩り方はしたくないということで、自分が生きる分だけを狩るという信念を持った猟師さんだと言えます。
千松信也さん 京都・自宅(家)の住所
千松信也さんが住んでいるのは京都市内ですが、山間のお堂を借りています。
もともとは犬を供養するお堂だった建物ですが、そこを漁師小屋として使っているのです。
場所については個人のことなので非公開ですが、京都大学から10kmほど離れた山と街との境目です。
こちらの映像を見るかぎりでは、嵯峨野から嵐山にかけての山林でしょう。
私もこの付近に住んでいますが、家の裏には山があり「けものみち」もあります。
鹿やイノシシはなかなか見かけませんが、夜になると鹿の「ケーン」という甲高い鳴き声が頻繁に聞こえるような場所です。
千松信也さんもコンビニまで10分程度の場所に住んでいますが、裏山には「けものみち」があり、そこでワナ猟をされているそうです。
イノシシや鹿が増加した原因について
では、なぜこんな街中でも猟ができるのでしょうか。
前述したように、2017年5月~12月にかけてイノシシが東山地区に現れたことは新聞記事にもなりました。
京都市街地までイノシシが下山してくるのは、山林での食糧不足が原因ですが、いまの日本ではイノシシや鹿といった野生動物が増加しているのです。
増加すれば当然ですが「エサ不足」になります。
これが、私達「ヒト」の生活にも影響してきます。
イノシシは雑食性で「タケノコ、稲」を食べるのですが、山間部では農家さんの生産物が被害にあったりします。
鹿は山林の草を食べますが、エサが不足すると木の樹皮を食べて木を枯れさせてしまいます。
そのため、京都では「獣害対策」として鹿やイノシシを狩猟で大量に処分していて、秋から冬にかけては京都の山間部では猟師さんをよく見かけたりするものです。
イノシシや鹿が増えてしまうことで、人の生活に影響が出てしまうので狩猟などで数を減らすのは仕方のないことです。
しかし、根本的にイノシシや鹿(特に鹿の被害が大きい)が増えてしまったのは・・・・
人のせいなのです。
京都府では年間に「鹿5000頭、イノシシ2600頭」を処分するのですが、こうして頭数を減らす必要が出てきたのは、人が山林を管理するようになったからです。
本来、日本の「原生林」は適度なバランスを保って「草、木、動物」が共存して成り立ってきました。
しかし、人が山を管理するようになり「植樹」などが行われると、その生態系が崩れていったのです。
・適度な草とウッソウと繁る木々の原生林が野生動物を一定量に保っていた
・人により山への植樹が始まると山肌に陽が当たるようになり下草が増えていった
・その結果、草を食べる鹿などの動物が増加することになる
・しかし、林業不況で山が管理されなくなり荒れてしまった
・その結果、山はまた陽が当たらなくなり草なども減ってきてしまった
・山林は野生動物のエサがない場所になる
・そのため、動物たちは人の住む田畑などに食べ物を求めるようになった
根本的には、人が山の生態系を崩したことで、適度に保たれていた野生動物の頭数が増えてしまったことが原因とされています。
人が山に植林したことで、山に日光があたるようになり草などが増え、エサが増えたことで野生動物も増加したわけです。
しかし、林業が衰退していくと山は荒れ放題となり、ふたたび陽の当たらない山になってしまったのです。
そのため、エサとなる草が減っていくことになります。
エサとなる草が減れば、鹿は樹皮なども食べつくすため「山林」は食い尽くされて禿げ山へと変貌します。
結果、動物たちはエサを山里の田畑に求めるようになっていきます。
そのため、人は「獣害対策」として猪・鹿を狩猟しなくてはならない状況に追い込まれてしまったのです。
さらに「狩猟人口の激減」や「オオカミなどの捕食獣がいなくなった」ことで生態系がバランスがどんどん崩れていってしまったのがイノシシや鹿が増加した原因です。
元はといえば「人の生活」の変化が引き金になっているわけで、イノシシや鹿が悪いわけではないと千松信也さんも主張されていました。
2015年に出版された千松信也さんの著作『けもの道の歩き方』にもこう書かれていました。
「害獣はいない」
獣害はあるが、獣が悪いわけではなく、獣自体を「害獣」と呼ぶのには疑問を呈しています。
鹿や猪たちは自分たちが生きるために頑張ってエサを探しているだけなのです。
千松信也さんの考え方には賛同できる部分が多いので、ぜひ著作を読んでみるのをオススメします。
ノーナレ 2018年4月30日 予告
ノーナレ 2018年4月30日 予告は以下の通りです。
直径わずか12センチのワナを、広大な山々のどこに仕掛けるのか。ワナ猟師・千松信也の日々は、都会生活のなかでは得られない「生命」への驚きと喜びに満ちている。
直径わずか12センチのワナを、広大な山々のどこに仕掛けるのか。ワナ猟師・千松信也の日々は、都会生活のなかでは得られない「生命」への驚きと喜びに満ちている。けものとヒトの間で繰り広げられる知恵比べ。シカやイノシシの気配を木の幹についた傷や泥の痕跡から探り、花に集まるミツバチの蜜から目には見えない自然の循環を感じとる。著書「ぼくは猟師になった」で知られる千松信也さんの秋から冬にかけの猟期に密着した。