京都市下京区にある珍地名「天使突抜(てんしつきぬけ)」が2019年9月5日放送『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』で紹介されるようです。名前からして「エンジェルが爆走」しているイメージがありますが、静かな京都の町中にある地名です。
天使突抜(てんしつきぬけ)が『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』で紹介
2019年9月5日放送『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』で、京都市下京区にある
天使突抜(てんしつきぬけ)
が紹介されるそうです。
この地名、京都でも屈指の珍地名と言われており、地名を聞くと「エンジェルが爆走」しているイメージしかないところですが、名前からはイメージできないほど静かな町です。
天使突抜は「1丁目~4丁目」まであり、一本の道で南北でつながっています。
今回は、この天使突抜を最初から最後まで全部紹介したいと思います。
天使突抜一丁目の風景
ということで、これが「天使突抜一丁目」の風景です。
特に何があるというわけでもなく、京都でよく見る住宅が並ぶ道です。
あるのは住宅とコインパーキングくらい。
道は細いのですが、なぜかコインパーキングがかなりあります。
途中には「裁縫教授 新生裁縫塾」という看板が。
これは裁縫教室のようです。
マンションのゴミ捨て場にも地名が書かれていました。
地名なので当然なのですが、京都以外の方から見れば違和感たっぷりの風景だと思います。
天使突抜二丁目の風景
天使突抜二丁目に入ると最初にあるのが「池内畳店」さんです。
京都の古い商屋という佇まいで雰囲気があります。
途中には山本酒店さんがあるくらいです。
他は住宅、あってもゲストハウスが一軒あるくらいでした。
ここら辺りは「東中筋五条上る 天使突抜二丁目」と呼ばれているようです。
この通りは「東中筋」と呼ばれているみたいですね。
途中にはいくつもの「路地(ろおじ)」があります。
京都は四角く区画されたところに住宅が並ぶのですが、中央部分は道に面していないので、こういった「路地(行き止まりの道)」がたくさんあって、区画の中の家へ行けるようになっているのが特徴です。
京都は通りを挟んでお向かい同士が同じ町(丁)という作りなので、路地の奥は別の町だったりしますが、下の地図を見ると同じ区画でも町名が違うところだらけというのが分かるでしょう。
天使突抜二丁目の南側に「唐松 京都・天使突抜店」というの店がありました。
これ、実は超マニアックな鉄道専門店です。
月3日くらいしか営業されていないようですが、公式サイトもあります。
天使突抜三丁目の風景
さて、国道1号(五条通)を渡ると「天使突抜三丁目」になります。
ここから先は少しお店が増えてきます。
この界隈は「東中筋揚梅下ル天使突抜三丁目」と言うようです。
揚梅下ルの読みは「ようばいさがる」です。
漢字は「楊梅」だったり「揚梅」だったりしますが、ヤマモモのことです。
天使突抜三丁目の中を東西に通る「楊梅通」というのがあるからですが、この看板は実際には「楊梅通上ル」にあるので「下ル」になっているのが謎でした。
こちらの「東中筋通五条下る天使突抜三丁目」という方がわかりやすいですね。
天使突抜三丁目には飲み屋さん、ギャラリーにコインパーキングがありました。
やけにコインパーキングが目立つのは時代の流れでしょうか。
天使突抜四丁目の風景
さて、天使突抜の最後は四丁目です。
入口には洋菓子店の「とむて」さんがあります。
この「天使突抜四丁目」が、これまででは一番にぎやかだと思います。
途中には建築会社や食事処もありました。
途中には古い病院「白井産婦人科病院」がありました。
旧字体で書くと「白井産婦人科醫院」で、「科」も旧字体に見えますが、これは今でも同じ漢字です。
入口脇には石碑があります。
「祝樹?」
古くて読めないのですが、植樹を記念したものでしょうか。
たしかに、石碑の隣には確かに木がありました。
天使突抜四丁目には一軒のカフェがあります。
それが「コーヒー&パーキング もも木」さんです。
正確には「京都府京都市下京区卜味金仏町」にあるのですが、東中筋通から路地を入って隣町にあります。
ここ、地図には掲載されていません。
営業時間は10時~16時で、昔ながらの喫茶店です。
この記事を書いている時点で検索しても、どこにも情報が掲載されていません。
メニューはコーヒー(ホット or アイス)のみ。
値段は430円、豆は小川珈琲です。
さて、これで天使突抜は全部紹介しました。
天使突抜の最南端は「六条通」のところになります。
なお、天使突抜の町名由来は東にある西洞院通から入れる「五條天神宮(天使の宮)」から来ています。
この神社、かつて「天使様」と呼ばれており、秀吉の時代はもっと広大な敷地だったそうです。
しかし、秀吉が天下を獲って、京都を御土居で囲ったり、都市大改造をした際に天使様の中に道を作ったのです。
その道が「東中筋通」のことなのですが、京都民は秀吉の所業を皮肉って「天使突抜」と呼んだのが町名の由来です。