京都の如意ヶ嶽山中で幻の山林寺院が発見されたと報じられています。京都の東山エリア「大文字山」南斜面の「檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)」のことで、土台跡や塑像片に須恵器などが50点以上発見されています。
京都市考古資料館で速報展示中なので見に行って来ました。
檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)が如意ヶ嶽(にょいがたけ)山中で発見される
京都の東山、その山中にかつて大規模な山岳寺院群が並び建っていたことは絵巻などの古い資料で分かっていました。
今回、京都市左京区にある如意ヶ嶽(にょいがたけ)で山岳寺院群のひとつ「檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)」見つかったと2019年1月6日の『京都新聞』で報じられています。
発見したのは、元京都市考古資料館館長や京都女子大の研究チームで、奈良時代に粘土で作られた「塑像仏、土器」などの破片と平安時代前期にあったとされる山岳寺院の一つ「檜尾古寺(ひのおこでら)」の建物跡が見つかっています。
ということで、その速報展示が京都市考古資料館で展示されているというので見に行ってみることにしました。
2019年1月5日から速報展示「檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)」が展示されており、見つかった塑像仏や須恵器の破片など約50点が陳列されています。
また、現地調査の写真や研究結果資料の展示がされていました。
檜尾古寺は平安時代前期(9世紀)の寺院で、京都市左京区の如意ヶ嶽(にょいがたけ=大文字山)南尾根斜面(標高400メートル)付近で見つかっています。
奈良時代まで盛んに作られた粘土を自然乾燥させた「塑像仏」なども見つかっており、平安遷都間もない時期の宗教活動を知ることができる資料となっていました。
・場所は京都市左京区の如意ヶ嶽(にょいがたけ=大文字山)南尾根斜面。
・時代的には平安時代前期(9世紀)のもの
・奈良時代まで仏像は粘土で作られていたが、平安時代以降は彫刻へと変わっていく
・今回見つかった「塑像仏」は粘土で作り自然乾燥させたもの
・平安遷都間もない時期の宗教活動を知ることができる資料
檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)の場所はどこ?
檜尾古寺跡(ひのおこでらあと)があるのは京都市左京区の「大文字山」です。
標高465メートルの山で、その南の山腹(標高400メートル付近)にて檜尾古寺跡が発見されています。
報道で書かれている如意ヶ嶽(にょいがたけ)というのは大文字山を含む京都から滋賀県へ伸びる尾根のことで山頂部分の標高は472メートル。
山岳寺院の「如意寺」があったとされるのが山名の由来で、滋賀県大津市との境界となる尾根に67以上の堂塔社殿があったことが古文書などから分かっています。
なお「大文字山」と「如意ヶ嶽」で混同される方もいるかと思いますが、現在では「大文字山」と「如意ヶ嶽」は区別されています。
古くは「大文字山を如意ヶ嶽と呼ぶ」ことが一般的だったようなので「大文字山は歴史的には如意ヶ嶽と呼ばれるのが正確」と言えます。
そのため、報道では「如意ヶ嶽の山中で発見される」と書かれていますが、現在では大文字山と如意ヶ嶽は区別されるのが一般的です。
上の地図が「幻の檜尾古寺跡」と他の遺跡の位置関係です。
紫のマークが「檜尾古寺跡(付近)」になります。
檜尾古寺跡は安祥寺の記録に寺名が出てくるだけで詳細は分かっていませんでしたが、資料にある場所と今回見つかった寺跡の場所が一致するのだそうです。
場所は大文字山の標高400メートル程度の南斜面のところです。
厳密な座標は公開されていないのですが「如意寺大慈院跡」の北方で大文字山三角点の南方のようでした。
大文字山の南向き斜面に5箇所の平坦地が残っていて、東西140メートル・南北130メートルの敷地に5箇所ほどに寺院があったと推測されています。
※2018年9月の大型台風で発見箇所付近のハイキングコースは倒木が著しく通行困難とのことでした。
京都市考古資料館 への行き方
京都・如意ヶ嶽山中に幻の山林寺院「幻の檜尾古寺跡」の資料は、京都市考古資料館で閲覧・入手が可能です。
2019年1月5日から速報展示されていますので、この機会にご覧になってみるのが良いでしょう。
場所は今出川通「堀川今出川」の西入ルです。
駐車場が若干あります。
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