今回の「京都秘境ハンター」は番外編で福井県の秘境を探して来ました。もちろん「京都に関係ある福井の秘境」で、小浜市に「京都の足利義満にゆかりある秘境」があるのです。ということは室町時代に関係する秘境なのですが、実は南蛮からやってきたある動物とも関係がある場所だったのです。
ということで「京都秘境ハンター」始まります!
福井県で京都にゆかりのある秘境を探しに行く
今回の「京都秘境ハンター」は番外編で福井県小浜市まで行って来ました。
行ったのは、もちろんアノ男「温泉担当」です。
厳密には小浜まで強引に行かせたというのが正しく、もっと正確に言えば京都からスクーターで福井県まで行かせました。
なぜなら、温泉担当がとんでもない罪をおかしたからです。
実は、前回の「佛返りの地蔵尊」へ行った際に編集担当を現地に置き去りにしたのです。
ということで、今回は・・・・
福井県の秘境で京都にゆかりのある秘境を探してこい
という罰ゲームになりました。
福井県小浜市といえば港町で鮮魚を安く楽しめるというイメージがありますが、京都との接点はもちろん・・・・
鯖街道
です。
温泉担当 「こ、こここ!ここ!この指令はトテモムズカシイんだなっだな!(° ꈊ °)✧˖°」
と軽く舌打ちをすると「じゃっ!ちょっと行ってくらぁぁΣ(-᷅_-᷄๑)ちぇっ」とでかけて行きました。
でも、そんな簡単なミッションだと思ったら大間違いです!(もちろん罠があります)
福井県小浜市に到着
ということで、温泉担当は福井県小浜市に到着。
京都から「鯖街道」を通り、途中で有名な「熊川宿」にも立ち寄り、さらに「鯖寿司」も食べた上で、ついでに小浜港のスーパー銭湯「濱の湯」にまで寄った上で連絡がありました。
温泉担当 「いやぁなかなか難しかったけど!あったよ!サ・・・・(° ꈊ °)✧˖°」
編集担当 「サバ街道はNGワードです」
温泉担当 「Σ(ΘДΘ;)」
当たり前じゃないですか。
なんで有名な「鯖街道」が秘境だと言えるんですか。
もちろんダメなのでハッキリと申し上げたわけです。
福井県小浜市にある京都も関係がある秘境「象つなぎ岩」
もっと簡単に終わるかと思った「京都秘境ハンター 福井編」ですが、実はとっても難しいミッションだったのです。
福井県小浜市で京都も関係がある秘境を探すという話ですが、そもそも我々は京都人であって福井人ではありません。
見知らぬ街で、ひとり寂しく、どこまで走っても「ただの秘境」という場所で京都にゆかりがあるものだなんて・・・・・
ありました!
実は、小浜駅から京都へ帰ろうとして「丹後街道」に向かうものの道を間違えて国道162号を北上。
その途中にとても気になる看板を見つけたのです。
それが・・・・
「象つなぎ岩」
です。
でも、これ京都となんの関係があるのでしょうか?
象つなぎ岩 は足利義満に献上される象が繋がれた岩
この「象つなぎ岩(福井県小浜市)」の案内板には以下のように書かれていました。
「応永15年(1408年)に南蛮船が着岸し、象がこの岩につながれていたと伝えられている」
これだと分かりづらいのですが、1408年というのは室町時代です。
3代将軍であった足利義満が亡くなった年なのですが、義満はこの地を何度となく訪れています。理由は海外貿易で、小浜というのは古くから大陸や南方との交易が盛んな都市だったのです。
足利義満は公家としても武士としても秀でた才能の持ち主で、公家の信頼を得て南北朝を統一。
武人としても優れており、西の有力大名であった山名家などを討って室町の平和を築き上げた将軍です。
かといって武力などに頼るばかりではなく、周辺の有力大名と融和政策を取っていたのですが、権威を守るために大国「明(みん)」との貿易も行っていました。
古い記録『若狭国税所今富名領主代々次第』によれば、1408年6月22日に小浜港にインドネシアのスマトラ島から南蛮船が到着。
日本国王・足利義満への献上品であった象1頭が一緒に航海してきたとされています。
その象を船から降ろして繋いだとされる岩が「象つなぎ岩(福井県小浜市)」なのです。
あいかわらず引きの強い男「温泉担当」ですが、1408年に南蛮船が着岸したという内容で「室町時代の貿易=足利義満=京都」というのは連想できるくらいの知識はあります。
だからこそ案内板を見落とさなかったわけで、今回の「京都秘境ハンター 番外編」は無事クリアとなりました。
象つなぎ岩 への行き方
では、この「象つなぎ岩」はどこにあるのでしょうか。
場所は福井県小浜市甲ケ崎(こがさき)地区です。
京都からだと国道162号をひたすら北上、小浜市街に入っても「小浜駅」からさらに国道162号をひたすら北上すると甲ケ崎(こがさき)地区に至ります。
付近はマリーナになっており、釣りなどのレジャー用の船がたくさん停泊している地域なのですが、かつてはこの近くに南蛮船が着岸していたのです。
あいにく、南蛮船が到着した1408年6月22日は足利義満が亡くなった直後のことで、古書『若狭郡懸誌』によれば象はこのあと京都まで歩いて行き四代将軍・足利義持に献上されたとのことで、他にもオウム(鳥)なども一緒にやってきたと記録されています。