源義経が道中の安全を祈願した京都の神社「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」へ行ってきました。京都の西陣にある八幡宮で、ここには旅行の安全を祈願する人々が訪れると言います。「首途(かどで)」とは出発の「かどで」です。
もちろん、旅行に行く暇はありませんが取材で色々な所には行くからです。
京都にある旅行安全の神様
今回の「京都案内」は、源義経が道中の安全を祈願した京都の神社へ行ってきましたので紹介します。
最近は、京都も暑くジメジメしていますが、うちの困ったちゃん温泉担当もあまりの暑さに「トリップ(旅行)」しており、その安全祈願も兼ねて行ってきたわけです。
その神社とは・・・・
首途八幡宮(かどではちまんぐう)
です。
首途八幡宮(かどではちまんぐう)とは
首途八幡宮(かどではちまんぐう)は、大分県宇佐市にある八幡宮の総本宮「宇佐神宮」から八幡大神を勧請(かんじょう)したものだと伝えられています。
元々は「内野八幡宮」という名前で、平安京の大内裏(だいだいり)の北東にあったことから「王城鎮護の神」とされてきました。
後に「首途(かどで)=出発」と呼ばれるようになるのですが、京都の鞍馬寺に預けられていた義経は元服すると藤原秀衡を頼って奥州へ向かいます。
その際に(1174年3月3日)、ここで出発の祈願をしたことに由来しています。
そのため、今でも「旅行安全の神様」として祈願に訪れる方が多くいらっしゃるというわけです。
首途八幡宮で旅行安全祈願
平安京の時代はずいぶんと広い敷地であったとされますが、今は細長く参道と社殿が残っているだけです。
写真の「二の鳥居」を通ると、さらに2つの鳥居があります。
左の鳥居は本殿へ向かいますが、右の鳥居は「弁財天」です。
弁財天は仏教ですが、神社に仏教もあるのは珍しいことではありません。
江戸時代までは「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」で神社と寺はひとつであったのですが、明治政府になってから「神仏分離令」で今のように神道と仏教を分けて考えるようになっただけです。
厳密には江戸時代から分離する流れにありましたが、明治政府は神道国教化を行う必要があったのです。
ま、そんな昔の話は忘れて、本殿に向かいましょう。
鳥居を抜けると石段があって、数歩登れば到着します。
あまりの暑さに温泉担当が成仏しそうです。
1686年の地誌『雍州府志(ようしゅうふし)』によると、源義経が鞍馬寺を抜け出して(僧になるのが嫌だったため)、奥州平泉に出向く際に立ち寄ったとされるのが「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」です。
ただし、天明8年1月30日(1788年3月7日)に「天明の災害」で消失してしまっているので、義経の時代のものとは当然異なります。
ちなみに、温泉担当は「弁天社」の方はシッカリとお参りしていました。
こちらは財宝の神様なので、我々のような俗に落ちた者には、こちらの方が大事だったのでしたとさ。
首途八幡宮 御朱印
御朱印マニアの方だと、首途八幡宮の御朱印が気になると思います。
でも、無人配布で、初穂料を賽銭箱に入れる形式になっているので、御朱印帳に貼らないといけないタイプのものでした。
普段は人がいないので、こういうことになっています。
桜井公園
ちなみに、すぐ隣は「桜井公園」という公園です。
桜があるから桜井公園?
いえ、桜井という井戸があったので「桜井」なのです。
今はレプリカですが「西陣五水」のひとつである井戸があった場所です。
・染殿井(そめどののい、雨宝院)
・千代乃井(本隆寺)
・桜井(桜井公園)
・鹿子井(かのこい、上京区智恵光院通寺之内の民家内)
・安居井(あぐい、上京区大宮通寺之内の民家内)
染殿井は、西陣は水がよく出たことから西陣織の染め物でよく使われていたので「染殿井(そめどののい)」と言います。
京都御所の中にも「染殿井」はあります。
首途八幡宮 基本情報
さて「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」の場所ですが、智恵光院通(ちえこういんどおり)という通りにあり、今出川智恵光院の交差点を北に上がった所すぐにあります。
北野天満宮から徒歩15分くらいの場所です。
近くには親子丼で有名な老舗料理店「鳥岩樓(とりいわろう)」さんがあります。
さて、我々はこの後に・・・・
西陣にある廃墟のような遺跡に向かうことになります。
そのお話は・・・・また今度にでも。
京都府京都市上京区桜井町102-1
URL:http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/