京都の金閣寺は金箔が貼られた有名な観光地ですが「なぜ金閣寺と呼ばれるのか?」という疑問はあまり語られません。そして銀閣寺も銀箔が貼られていないのに「なぜ銀閣寺と呼ばれるのか?」という疑問があります。
鹿苑寺はどういう理由で金閣寺と呼ばれ、慈照寺はどうして銀閣寺と呼ばれるのか?
今回はそんなお話です。
鹿苑寺はどうして金閣寺と呼ばれるのか?
京都の「金閣寺」は正式には「鹿苑寺(ろくおんじ)」と呼ばれるお寺です。
黄金に輝く金箔が貼られた「舎利殿」が有名で「金閣」と呼ばれていますが、ではなぜ金閣と呼ばれるようになったのでしょうか?
金箔が貼られているから「金閣寺」ではないのです。
この話は京都で長年観光ガイドをしていた御年100歳はゆうに超えるとある先輩から聞いた話で、Wikiにも鹿苑寺公式サイトにも書かれていない話です。
金閣は昭和25年より前から金箔が貼られていた
金閣は三島由紀夫の長編小説『金閣寺』でも有名で昭和25年(1950年)に消失して、昭和30年(1955年)に再建されたものです。
金閣はその以前から金箔が貼られていましたが、消失時点ではほぼ金箔がはげ落ちていたと言われています。
書物によれば、旧金閣の一番上である三層のみに金箔が貼られていたとされています。
先輩は「ついこの前消失したばかりだが」と66年前のことが最近というほどの御年ですが、記憶も足腰もシッカリしており、散歩しながら金閣寺に金箔が貼られた理由を話し始めました。
鏡湖池(きょうこち)に映る金閣にヒントを得た
御年100歳は超えるだろう先輩の観光ガイドさんが話した「金閣に金箔が貼られた理由」とは、池に映る金閣が太陽の光で輝いていたことにヒントを得たというものでした。
金閣の前には鏡湖池(きょうこち)という池があります。
この池は金閣を水面に映す池で、池に映る金閣を「逆さ金閣」と呼んでいます。
この鏡湖池に映る金閣が太陽の光で輝いていたのを見て「金箔を貼ったらキレイだろうな」と考えたのが金箔を貼る動機だったと言うのです。
慈照寺はどうして銀閣寺と呼ばれるのか?
この話、実は銀閣寺と呼ばれる「慈照寺(じしょうじ)」も同じような理由で銀閣と呼ばれるようになったと御年100歳を超えた先輩は言います。
銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代だとされていますが、銀閣寺には銀箔が貼られていません。
それなのになぜ「銀閣」と呼ばれるようになったのか?
実は、銀閣寺のお庭には錦鏡池(きんきょうち)という池と「銀沙灘」(ぎんしゃだん)に「向月台」(こうげつだい)と称される2つの砂盛りがあります。
この砂盛りは月の光を本堂に照らす役割があるとされているのですが、その光った姿が月明かりで銀色に輝くようだったことから「銀閣寺」と呼ばれるようになったと言うのです。
金閣寺=太陽・銀閣寺=月
人生の先輩は金閣と銀閣の由来を話すと、静かに歩き始め去っていきました。
話をまとめるとこういうことです・・・・
金閣寺 = 太陽の光が池面に映る逆さ金閣を光らせていたことから金閣と呼ばれる
銀閣寺 = 月の光が砂盛りに反射して本堂を照らしていたことから銀閣と呼ばれる
この話、実は眉唾でもなんでもなく、昔から「金閣寺=太陽・銀閣寺=月」というイメージが京都ではあるのです。
2つのお寺が太陽や月になぞられるのは、この先輩が話してくれた逸話から出てきた話なのかもしれませんね。
京都にある世界遺産のひとつ「銀閣寺(慈照寺)」、日本史の教科書にも出てくる有名な建物ですが、この屋根の上に「サワラ」がいるのはあまり知られていません。お詳しい方であれば、屋根の上にいるのが「鳳凰(ほうおう)」というのはご存知だと思いますが、サワラもいるのです。