京都市伏見区小栗栖にある「明智藪(あけちやぶ)」が2020年5月11日放送の『所JAPAN』で紹介されるそうです。歴史学者・磯田道史さんが実際に「明智藪」を訪問した際のVTRが紹介されるみたいです。では「明智藪」はどんな場所で、どのようにして行くのか解説します。
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明智光秀 最期の地「明智藪(あけちやぶ)」が所JAPANで紹介
2020年5月11日放送の『所JAPAN』で、京都市伏見区小栗栖にある「明智藪」が紹介されるそうです。
予告では「落ち武者狩りに遭遇し、命を落とした光秀。その最期の場所と言われる 明智藪 を歴史学者・磯田道史先生が現場検証!」とあり、磯田さんが京都市伏見区に来たことが書かれていました。
ところで、明智藪は京都には2か所あります。
ひとつは今回紹介する京都市伏見区にある「明智藪」、もうひとつが京都府福知山市にある「明智藪」です。
後者は明智光秀が福知山市内を流れる由良川の流れを和らげるために作った竹林のことです。
今回紹介する「明智藪」は京都市内にある明智光秀最期の地と言われている場所です。
明智光秀は本能寺の変の後、京都府大山崎町で羽柴秀吉の軍に敗れ(山崎の合戦)、近江の坂本城へと逃げる途中に小栗栖(おぐるす)で百姓に竹槍で襲われて最後を遂げたと伝わっています。
※最近の解説では百姓ではなく織田信長の近臣であった小栗栖館の武士集団の飯田一党の襲撃を受けたとあります。
『太田牛一旧記』によれば、襲撃されたのは田んぼの上の細道で、家臣によって明智光秀の首は竹薮の溝に隠されたのだそうです。
小栗栖は現在でも実在する地名で、明智光秀が襲撃された場所は「明智藪」として今も残っています。
明智光秀 最期の地「明智藪(あけちやぶ)」を見に行く
さて、この京都市伏見区小栗栖にある明智光秀 最期の地「明智藪(あけちやぶ)」は自由に見学することができるようになっています。
竹林の大半は造成されてしまいその姿を今に伝えることはありませんが、ここが「明智藪」であることを告げる看板が設置されています。
看板には「明智藪 天正十年六月十三日 明智光秀が討たれたといわれる場所」と書かれています。
明智藪は竹藪(たけやぶ)であったと言われていますが、現在は若い竹が少しある程度の竹やぶとなっていました。
すぐ左隣りには少し大きな竹藪があって「明智藪」の一部なのですが、鍵付きの柵で入れないようになっています。
明智藪は少し高台にある竹藪で、畑や田んぼを見下ろす場所にあります。
歴史書には田んぼの上の細道で襲撃されて、明智光秀の首は竹薮の溝に隠されたとのことなので、ここまで首を運んで隠した場所というのが実際のところなのでしょう。
明智藪 への行き方は?
では「明智藪」へ行くにはどうすればよいのでしょうか?
その場所は住宅地の奥深くにあります。
軽自動車でないと入れない場所、住宅地の道とも思えない通路を通って行くことになります。
行き方としては、六地蔵から「新小栗栖街道」を北へ。
ラーメン店「青龍」の左脇道を入って行くと案内板があるので、それに従って進んでいきます。
明智藪のすぐ手前、まるで行き止まりというか私有地のように見えるところに出ます。
でも、これ一般の方でも通れる道なんだそうです。
上の写真のすぐ右にある家の方にお話しを聞いたので間違いありません(とても親切な方でした)。
私有地っぽいところを入るとライオンズクラブがたてた明智藪の石碑があります。
右は個人宅の敷地なので駐車や駐輪などは絶対にしないでください。
この新しめの石碑より奥がもう「明智藪」と呼ばれているところです。
明智藪は手前にあった本経寺の寺領となっています。
さらに進むと明智藪の看板がある場所に出ます。
上の写真の奥左側がそれです。
ここまで来ると、軽自動車なら切り返してUターンできます。
ここへの道のりは軽自動車でなんとかという道であるため、一般車では通れる道ではありません。
なので、大通りでコインパーキングを使用して歩いて行くのをお薦めします。
※バイクは問題なく通行できます。
所JAPAN 2020年5月11日 予告
所JAPAN 2020年5月11日 予告は以下の通りです。
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