皆さんは「GSユアサ」はご存知でしょうか。そう、自動車やバイクなど身近なバッテリーの日本トップシェアで、世界第二位の規模を持つバッテリー会社です。実はそのGSは京都が発祥なのです。今でも今出川新町には、当時存在していた電池工場「日本電池」を記念する石碑が残っています。その石碑には「日本電池発祥の地」と書かれているのですが、実質的に日本の電池の歴史は、この京都で始まったとも言えるのです。
ということで、この「日本電池発祥の地」を見に行って来ました。
京都に「日本電池発祥の地」と書かれた記念碑がある
今回の「京都案内」は、実は京都が日本での「電池発祥の地」だったという話です。
今でも「日本電池発祥の地」が京都には残っており、場所は今出川新町を上がった「同志社大学 新町キャンパス」にそれを記念する記念碑が残っています。
表記の「日本電池」とは社名のことです。
といっても、最近まであった会社とはいえピンと来ない方も多いかと思います。
わかりやすく言うと「GSユアサ」のことですが、日本の自動車やバイクや工業用の蓄電池を製造している大きな会社です。
1917年 今出川新町の工場が会社「GS(日本電池)」として独立
1918年 大阪で湯浅蓄電池が設立
2004年 GSと湯浅が合併してジーエス・ユアサ コーポレーション設立
今でも「日本電池の社屋外壁」が保存されている今出川新町
現在の「同志社大学 新町キャンパス」の場所、今出川新町から北に上がったところに残っているのが日本電池の社屋で使われていた外壁です。
1912年(大正10年)に建設された地上三階・地下一階の洋風建築の工場が、この場所にあったことを記念して外壁と記念碑が今でも残されているのです。
日本電池は、その後移転していますが、1959年(昭和34年)にこの工場の土地と建物を同志社大学が買い取って「同志社大学 新町キャンパス」に生まれ変わりました。
当時の社屋は「臨光館」として、その後も利用されていたのですが、建物は最近になって新しい「臨光館」に建て替えとなり、その取り壊された外壁が今でも記念として飾られています。
外壁がここに移動されたのは最近ですが、一番最初の写真にあった石碑は1959年ここに置かれています。
石碑も外壁も公道から見られる(触れる)ようになっていますが、これが日本電池の元工場外壁だと気が付く方は、今となっては少ないようです。
ほとんど知られていない「日本電池発祥の地」ですが、日本で初めて鉛蓄電池を製造したのが島津製作所の二代目社長である島津源蔵という発明家です。
その島津源蔵のイニシャル(G.S)が、日本電池(GS)の商標の由来になっているんです。
なので、ここが日本の電池発祥の地と言っても良い場所なんですよ。