西本願寺総門に落書きが見つかったと2017年12月4日にニュースになりましたが、その後「西本願寺総門の落書きがどうなっているのか」というは報道されていません。そこで、その西本願寺総門の落書きが現状でどうなっているのかを見に行ってみることにしました。
すると「丸形、縦線」の落書きが今でもあるのが確認できました。
西本願寺総門の落書き その後どうなった?
2017年12月4日に、京都の西本願寺前にある「西本願寺総門」に落書きが見つかったとニュースになりました。
報道では前日まではなかった落書きが4か所見つかったとあり、ひとつは30cm四方ほどの大きなものです。なんらかしら固いもので「西本願寺総門」につけたと思われますが、その後どうなったかは報道されていません。
そこで「西本願寺総門の落書き」がどうなっているのか見に行って来ました。
西本願寺総門の落書き まだ残っていた
JR京都駅の北には「西本願寺」と「東本願寺」がありますが、西本願寺の東側「正面通」にある大きな門が「西本願寺総門」です。
その門の右側下部の茶色い木の板に「丸形、縦線」の落書きが今でもあるのが確認できました。
報道された時の写真はもっと板を削った痕跡が分かるものでしたが、すでに何かで落書きの溝が埋められた状態になっており、少し灰色っぽい線が残っている状態でした。
報道写真のものよりもだいぶ目立たないようにはなっていますので修繕が試みられたのでしょう。
縦線の左側にある白い擦った後のようなものは新しく付いたもののようですが、そちらが少し気になりました。
誰でも触れる立地で歩道上にあるので汚れていくのは仕方ないですが、平成26年9月18日に「重要文化財」にも指定されているものであるので、落書きのような行為は許されるものではありません。
西本願寺総門はなぜこの場所にあるのか
西本願寺の境内ではない通りの入口にある特異な門で、正面通から国道1号線へ出るために車もこの門をくぐる必要があります。
なぜ、こんな場所に門があるのでしょうか?
江戸時代には今の国道1号線(堀川通)に沿って川(堀川)が流れていました。今でも、川べりに「阿弥陀堂門」と「御影堂門」がありますが、その東を通る国道1号線(堀川通)は元々は西本願寺の境内なのです。
その境内に入るための門が「西本願寺総門」で、門を入るとさらに土壁と「御影堂門」があり、総門と御影堂門の間は人が通れる大きな通りになっていました。
その通りが今の国道1号線(堀川通)になったのですが、今より少し道幅が狭い通りでした。
「西本願寺総門」も今より少し西側にあったのを、1959年(昭和34年)に東へ移動させて「堀川通」の拡張工事が行われています。
西本願寺総門について
西本願寺総門は、1711年(宝永8年)に「親鸞聖人四百五十回忌」の記念で建立されたもので「高麗造」という形式の門です。
元々は西の「御影堂門」寄りにあった門ですが、1898年(明治31年)に今の堀川通の箇所に噴水地「風致園」が作られ、池と庭園ができた際に少し東へ移動しています。
西本願寺総門は周囲に何もない門だけがあるものなので、移動はその後も2回行われています。
二度目は、1911年(明治44年)「親鸞聖人六百五十回忌」の時に「風致園」を埋め立てて、元あった西の位置に戻されます。
三度目が、前述したように1959年(昭和34年)の堀川通の拡張工事時で、東へまた移動しています。この時に「東へ6メートル、北へ45cm」移動して今の場所になっています。