今回の「京都秘境ハンター」は、西陣の名水のひとつだった「梅雨ノ井」を見に行きました。しかし、ここはすでに荒れ果て、今では忘れられた遺跡になっていたのです。では「梅雨ノ井」とはどのような井戸なのでしょうか。
どうやら京都の闇が見えてくるようですよ。
京都秘境ハンター始まります!
京都秘境ハンター
久しぶりの「京都秘境ハンター」ですが、今回は西陣にある「荒れ果てた遺跡」を見に行きました。
荒れ果てた遺跡?
そうです、京都は一見華やかな町と思われるのですが、細い細い路地裏を歩いていると、すでに忘れられ荒れ果てた遺構があったりします。
今回はそのひとつ「梅雨ノ井(梅雨の井)」という遺跡を見に行くことになったのです。
京都の荒れ果てた遺跡を見に行く
ある日、うちの困ったちゃん温泉担当が、普段は重たい口を微かに動かしてこう言いました。
温泉担当 「フッふふ!フフフ!今回は西陣の闇を見に行くんダナっ!だな!d(ŐдŐ๑)」
当然ですが、我々は一斉にツッコミを入れます。
「京都の闇とはお前のことだろっ!」
しかし、そんなツッコミも彼の深い深い闇に吸い込まれてしまって届きません。
どうやら、彼が見に行くというのは「梅雨ノ井」という場所のようです。
歴史的には平安京の大内裏の「内教坊」(ないきょうぼう)という、宮中で踊っていた女性達の練習場があった付近で、住所的には「京都市上京区東堀町」という所にある「井戸」のことです。
厳密には「西陣」の南外れのところなので西陣のエリアではないのですが(上地図参照)、豊臣秀吉の時代に「聚楽第(じゅらくだい)」という政庁兼邸宅があった場所です。
平たくいえば「豊臣秀吉の家」があった場所ですね。
梅雨ノ井
「大宮通」を南に下がっていくと「上長者町通」と交差するのですが、その南西角の狭い一角が「東堀町」というエリアです。
このエリアなのですが、狭い路地裏を入ると「パンクした自家用車と廃屋」が並び、草ぼうぼうの場所になっているのです。
上の写真は祠(ほこら)で人の手は入っていますが、高齢化のため人家には気配がない家も多いようです。
祠には「つゆの井跡」と書かれた案内がたてかけてありますが、400年とかくらいしか読むことができません。
とにかく、この先に「梅雨ノ井」があるようです。
もう少し進むと「聚楽第の遺跡」と書かれた「八雲神社 案内板」もありました。
「此の先ニアリ」
近いようです!
しかし、もうこの先にはそれらしきものがありません。
あるのは朽ち果てた祠と・・・・
草ぼうぼうの空き地で行き止まりです。
ということで、後ろを向くと・・・・
温泉担当 「ギギギギギ・・・・( º言º)」(首が動く音です)
なんと!隣りには「史跡 聚楽第遺跡 梅雨ノ井」と書かれた井戸があったのです!
史跡 聚楽第遺跡 梅雨ノ井
豊臣秀吉造営スルトコロノ聚楽第ノ内ニアリシ井戸ナリト遺フ此地ハモト聚楽第内部ノ東南隅ニ近キ處ニアタル 昭和三年三月 京都府
かつては、晴明神社にある「晴明井」と共に西陣の名水とも言われた「梅雨ノ井」ですが、今はまったく管理されておらず荒れ果ててしまっています。
古い方の案内板の方が詳細に書いてあるのでしょうけど、もうまったく読めない状態です。
敷地にある家は人が住んでいるようないないような感じですが、井戸自体は管理されている様子はありませんでした。(井戸は枯れています)
梅雨ノ井の写真
ということで、今回の「京都秘境ハンター」は西陣の名水とも言われた「梅雨ノ井」の荒れ果てた姿を見に行きました。
かつては千利休や豊臣秀吉がお茶を点てた井戸とされますが、この場所の井戸が当時の聚楽第の井戸かまでは不明です。
「梅雨ノ井」の名前の由来は、梅雨の時期にこの井戸から水があふれ出たという言い伝えがあるからで、この西陣エリアが良質な水が豊富に出る地域だったことを意味します。
今はありませんが「八雲神社」というのがかつてあり、地上げ屋によってこの土地が転売対象となって取り壊されたという経緯があります。
闇が深いですよねぇ~。
京都府京都市上京区東堀町616