春になると多くなるのが、虫と秘境ハンターです。暖かくなると、とかくお出かけしちゃう我々の今回の目的地は・・・・なんと「神割」です!京都の和束町にあるという「神割」とは?
今回もキレッキレッの温泉担当と、だまされやすい編集担当、フード担当がお休みの代わりのWeb担当が京都の秘境に出かけてきました!
なお、我々の定義では「車で行けないところは秘境ではない」がモットーです。
京都秘境ハンター
とある日、Web担当と通信回線の話をしていた時のことです。安い通信回線がないものかという話になったわけです。
Web担当「ギ○学割とか○マ放題とか、あんま割安感ないですねぇ。」
編集担当「神割とか、1000円以下の通信回線とかないんですかね?」
すると・・・・温泉担当がいつものように重い口をかすかに開いてこう言ったのです!
温泉担当「ボ、ボク・・・か、神割知ってるんダナ・・・・」
マヂっすか!
京都駅・・・・を通り過ぎる
ということで、温泉担当のバイクを先頭にツーリングと洒落込んだわけです(?)
しかし、気がつくと、そこは宇治川の「天ヶ瀬ダム」でした。この辺りは、宇治川の中でも景色の良い所です・・・・ではなく!
ちょっと(笑)、京都駅とか完璧通り過ぎてるんですけど?!
いやでも、穴場の「神割のあるお店」なんだから、とんでもないド田舎の可能性も無きにしも非ずです?
京都府宇治市宇治金井戸15
宇治田原のダビデ像
しかし、この話・・・・どんどん怪しい方に進んでいきます(笑)
温泉担当「ハイッ!これが京都のフィレンツェです!」(ダビデ像と言いたいらしい)
編集&Web担当「・・・・・」
たぶん、これは温泉担当なりのオモテナシなんだと思います。
実はこれ、「株式会社ナカタ」という会社にあるダビデ像です。
噂では宇治田原町の住民は「ダビデ像がスキ」という話も聞いたことがありますが、まさかこんなところでダビデ像が見られるとは思いもしませんでした。
京都府綴喜郡宇治田原町南並木
宇治田原町 御栗栖神社
さて、先ほどのダビデ像から、また少し走ること数分のことです。
なんと着いたのは、御栗栖神社という京都府綴喜郡の片田舎でした。
不思議です。なぜ、温泉担当は、アノ「神割」の話から、この御栗栖神社を導いたのでしょう?
立派な社殿が建っています。
確かに、同じ「神」ではあります。
しかし、温泉担当は・・・・
単に前の公衆トイレに寄っただけでした(笑)
温泉担当「ハイッ!これが宇治田原町唯一の公衆トイレです!」
しらねーよ!(笑)
京都府綴喜郡宇治田原町大字南宮ノ上西76
宇治田原の神割
彼の言う「神割」とは、なんなのでしょう?
そして、また走ること数分・・・・
温泉担当「ハイッ!これが神割です!」
そう来たか・・・・
京都府相楽郡和束町の神割
なんとも立派な文字で「神割」と書かれている標識らしきものです。
位置としては、京都府綴喜郡と京都府相楽郡和束町(わづかちょう)の境界上付近にあり、道で言うならば「府道62号線」の林道(離合困難路線)の途中にあります。
位置はピンポイントで以下の場所です。
地名の神割とはいったい何なのか?
で、この「神割」ですが、これはいったい何なのでしょうか?
「割」というのは地名であり、少し北の京都府宇治市では存在する住所の表記方法です。
地域を分割する「丁目」と似たような感じで、エリアを分けて「~割」と表記することがあるのですが、通常は住所のように順番が分かるようにつくことがあります。
イロノ割
ハニノ割
ホヘノ割
トチノ割
リヌノ割
ルヲノ割
ワカノ割
上はイロハで分けた場合です。
愛知県の飛島新田(とびしましんでん)の地名が、こうなっていますが、もともと干拓地で、開発者達が土地を分ける時に単純な地名を付けたというのが地名の由来です。
また、すぐ近くの京都府京田辺市には「草内鐘鉦割(くさうちはんしょうわり)」という地名もあります。すぐ隣は「東七反割」という地名です。これは木津川の川辺を田んぼにしていた(今も田んぼですが)時代の区割りの名前が残っているのでしょう。
しかし、今回は「神割」(かみわり)なのです。
温泉担当に聞いてみた
実はこれ、もう少し南にある和束町(わづかちょう)側にもあるそうですが、書かれているのは別の言葉なんだそうです。
とりあえず、「神割違い」の件は置いておき、温泉担当に「これは何?」と聞いてみました。
すると・・・・温泉担当は重い口をかすかに開きながらこう言ったのです・・・・
温泉担当「地名・・・・」
さぁ、いますぐ家に帰ろうぜ!(笑)
地名といっても・・・・
地名といっても普通の地名ではないそうです。
山の中ではこういう標識があるそうで、ほとんどが土地の何らかしらを表していると言います。
前述したように、この「神割」は、京都府綴喜郡と京都府相楽郡和束町(わづかちょう)の境界上付近にあります。
温泉担当が言うには「昔ここで村の境界の争いがあったのだろう」ということでした。
それをお上が仲裁することで、今の境界が決まって、そこが「カミ割」という名前になったという考察です。
柳田国男『地名の研究』でも、昔の村境(峠)には重要な意味があり、そこには地蔵や松明などがあったと言います。また、村同士の諍いも多かったとあります。
また、宮城県に「神割崎」というのがあるのですが、ここには「神割伝説」というのが残っています。
村境のいざこざがあった際に、神が仲裁したことで「神割崎」という名前がついたという伝説です。
本当のところは分かりませんが、日本の地名にはおよそ意味があるのです。
・・・・などと、クダラナイ話から、最後は真面目に終わる「京都秘境ハンター」・・・次回もお楽しみに!