さよなら西陣・京極湯 最後の写真を撮ってきた「京極湯跡」
京都府京都市上京区の銭湯「西陣京極湯」の跡地を見に行って来ました。
千本中立売から北へ店舗などで賑わうストリートから一本東へ細い道を入ると西陣京極という昭和初期に旧歓楽街があった細い通りがあります。
そこに「京極湯」と呼ばれる銭湯があり、75年間営業しつつも2022年8月26日に廃業した銭湯です。
昔ながらの京都の銭湯ですが、繁華街だった場所だけに京都では珍しく彩り豊かな看板や暖簾(のれん)でポップな印象の銭湯でした。
廃業の理由は老朽化(ろうきゅうか)で、廃業から約9か月後の2023年5月31日頃から建物の取り壊しが始まっていました。
時折、前を通ると細い通りから少しずつ奥へ取り壊し工事が進んでいました。
で、2023年8月1日時点では脱衣所があった場所は完全に更地となり、京極湯の湯舟があった建物が最後の取り壊しを待っている状態になっていました。
現状(2023年8月1日時点)では湯舟へと入る入口の上にあったタイルの下地にもっと古いタイルがあったことが分かるようになっていて京極湯は哀愁漂う状態になっていました。
私は京都に移住してきた京風に言えば「よそさん(東京風に言えばヨソもん)」で、13年ほど前に京都へ来るまでは銭湯に行くという習慣はありませんでした。
なぜなら生まれてこのかた家にお風呂があったからです。
もちろん、東京に銭湯がなかったわけではありませんが、数は少なくほぼ銭湯の存在をスルーする人生でした。
しかし、京都市北区に住むようになって家から数百メートル四方に銭湯が密集していることに気が付きました。
住んでいたのは大徳寺の近く、新大宮商店街近くだったのですが家から徒歩1分かからない場所にも銭湯がある京都でも屈指の銭湯密集地帯だったのです。
その時に京都でもそれだけ銭湯が集中的にあるエリアは他になく、少し気になったので恐る恐る初めての銭湯を体験しに行ったところめちゃくちゃ気に入って毎日のように通うようになりました。
家の周辺、自転車でも数分のところに10軒ほどの銭湯があり時には歩きで時には自転車で南は東鞍馬口通の「船岡温泉」まで、北は大宮通の「竹殿湯(廃業)」まで色々な銭湯をローテーションで行っていました。
何が良かったかと言うと大きな湯舟でゆったりとボーっとするのが良かったし、元から古民家など古いものが好きだったこともありますが、なによりもお風呂文化は家風呂へと変遷しているのに習慣としての銭湯文化が残っていることになによりもノスタルジーを感じて好んで銭湯に通っていました。
しかし、その頃から地元近くにあった銭湯はどんどん数を減らしていき銭湯は日に日に少なくなっています。
私は丸太町通より北、洛北の北山通より南、西は北区の衣笠まで、東は賀茂川までのエリアが気に入っていて京都に来て以来何度か転々と同じエリアに住んでいます。
いわゆる大まかに見て「西陣」周辺と呼ばれるエリアが好きで住んでいるのですが、京都市内では昔の京都らしい家屋や生活が残っているのがこのエリアだと京都中を巡って気が付いたからです。
京町家に路地(ろおじ)がたくさん。辻子(ずし)はそんなにないけど普通に通って生活する道の中には車1台ギリギリのところから人ひとりギリギリ通れるような通りにも昔ながらの京町家が残っているエリアです。
丸太町通より南だと壬生(みぶ)界隈や二条駅の西側の御前通沿いにまだそんな街並みが残っていますが、西陣に残る京都感は他にはない雰囲気であると思います。
そんな西陣で長く営業してきた「京極湯」さん、私は入浴する機会がないまま廃業となってしまいましたが、西陣京極という繁華街で長く京都の「銭湯通い」という習慣を残してくれたことに敬意を払いたいと思います。
最寄り駅や行き方(アクセス方法)
京極湯跡 の場所についてです。
場所は京都府京都市上京区の西陣京極で北野白梅町駅から徒歩17分のところ。バス停だと千本中立売バス停から徒歩2分です。
住所でいえば「〒602-8294 京都府京都市上京区土屋町通一条下る東西俵屋町666 京極湯」で、大きな地図で見たい場合はこちらをクリックしてください(Google Mapsが開きます)。