世の中には禁足地(きんそくち)と呼ばれる場所があります。立入禁止とされる場所のことですが、本来は「外へ出ることを禁じられた場所」のことを意味しました。今回は、京都にそんな禁足地(きんそくち)がないか調べてみました。それも身近な場所に存在する禁足地(きんそくち)に限定して紹介します。
京都の身近に存在する禁足地(きんそくち)
夏になると更新が多くなる「京都秘境ハンター」今回のお題は・・・・
京都の身近に存在する禁足地(きんそくち)
です。
禁足地(きんそくち)?
現代の意味合いでは「立入禁止」の場所のこと。
しかし、禁足地(きんそくち)という言葉の本来の意味は「外へ出ることを禁じられた場所」のことです。
神様が鎮座する場所、他にも物の怪が封印されている場所、外へ出ることが禁じられている神や怨霊などがいる場所とされているのが本来の禁足地です。
現代の「立入禁止」を意味するようになったのは、本来の意味「出ることが禁じられている」から「一度入ったら出られない場所」つまり「入ってはいけない場所」という意味合いに変化したからです。
さて、現代の意味合いで言うなら神のいる場所、入ることは不敬にあたるとして立入禁止になっているところが禁足地です。
その代表的な場所が神のいる山でしょう。磐座(いわくら)と呼ばれる場所であったり神体山と呼ばれる山であったりします。
しかし、その多くは入れる場所であったり、関係者以外立ち入り禁止であったり、小さい禁足地があり近くまでは行けたりします。
今回はそんな身近に存在する禁足地(きんそくち)を京都からセレクトしてみました。
木嶋神社(三柱鳥居)
京都で一番身近な禁足地といえば、日本唯一の三柱鳥居(みはしらのとりい)がある「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」でしょう。
通称「木嶋神社」とも呼ばれています。
この木嶋神社を通称「蚕ノ社(かいこのやしろ)」と解説する人もいたりしますが、正確には木嶋坐天照御魂神社の右隣にある社が「蚕養神社」と呼ばれる通称「蚕ノ社」です。
その逆側、社殿の左奥、そこにあるのが「元糺の池(もとただすのいけ)」です。
鳥居がもうひとつあり、そこから先には入れません。
鳥居が3つ、それに囲われているのが神域。
本来は湧き水がわいていたとされ、立入禁止となっている京都の身近な禁足地です。
この場所をもっと詳しく知りたい場合はこちらの記事をご覧ください。
首塚大明神
京都市西京区の大江から亀岡へと続く国道9号線から旧道に入ると「首塚大明神」があります。
平安時代初期、福知山・大江山に本拠地を構えていた酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治して、京の都へ首を運ぶ途中にここで動かなくなったと言われる場所です。
やむを得ずこの場所に首を埋めたわけですが、その首塚が今でも残っています。
ちなみに酒呑童子を退治したのは源頼光と部下の四天王で、四天王のひとりには金太郎のモデルになった坂田の金時もいました。
首塚は首塚大明神の社裏にあり、石が積まれています。
周囲は囲いがあり入れないようになっており神域となっています。
酒呑童子は伝説では鬼であったと言います。
怖れ祓うべき存在であり、ここに封印されているのです。
ここは本来の意味の「禁足地」に近いですね。
岩本社の横の禁足地
実は京都市北区の上賀茂神社境内にも禁足地があります。
それがあるのが「岩本社」と呼ばれる末社の一つの近くで「底筒男神、中筒男神、表筒男神の三柱(住吉三神)」が祀られています。
小さな社ではありますが、その左横に四角い石の囲みがあり、依り代があるので神域であることがわかります。
でも、なんでここに依り代で結界が置かれているのでしょうか?
実はここが元々の社があったところです。
大岩の横にあったことから「岩本社」と呼ばれるようになった社なのですが、岩の上に移設されたのです。
そのため、社の隣りに禁足地があるんですね。
つまり、神様のいる場所であり「立入禁止」の場所です。
今の禁足地(きんそくち)の意味に近い場所ですね。
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