豊臣秀吉が妻ねねに宛てたラブレターと悪夢から逃れるための獏御枕を見ることができる豊国神社の宝物館が2020年8月10日放送の『所JAPAN』で紹介されるそうです。豊国神社は京都にある大きな神社で豊臣秀吉が祀られており、豊臣秀吉と正妻である「おね(おねね)」の珍しい文化財を見ることができる神社です。
秀吉が妻ねねに宛てたラブレターと悪夢から逃れるための獏御枕が『所JAPAN』で紹介
京都の豊国神社、読みは「とよくにじんじゃ」で京都では大きな神社のひとつです。
三十三間堂の北にある豊臣秀吉を祀る神社で、今の時期は本来なら観光客で賑わうようなよく知られた観光地でもあります。
この豊国神社が有名なのは、ここには豊臣秀吉と妻ねねに関する文化財を多数所蔵しているからです。
豊臣秀吉は皆さんご存じのとおり、戦国武将で天下統一をした武将。
その正妻が「北政所(きたのまんどころ)」で「おね」です。
一般的には「ねね」と呼ばれますが、豊国神社では「おね(おねね)」で表記が統一されています。
上の写真は、豊国神社が所蔵する豊臣秀吉ゆかりの品々が展示されている宝物館です。
2020年8月10日放送のテレビ番組『所JAPAN』で、その文化財の数々が紹介されるそうです。
では、どんな文化財が紹介されるのでしょうか。
予告を見る限りでは以下の品々が紹介されるようでした。
・豊公御書 まんどころ宛
・豊臣秀吉の枕
・豊臣秀吉の歯
薙刀直シ刀(骨喰藤四郎 – ほねばみとうしろう)
宝物館では写真のみの掲示ですが「薙刀直シ刀」が最初の方に展示されています。
元は源頼朝が大友家に与えた薙刀(なぎなた)であったそうですが、足利尊氏に献上されて、その時に大脇差に作り直されたそうです。
そのため「薙刀直シ刀」と呼ばれています。
後に豊臣秀吉に献上された時期があったため、最終的には徳川家が所蔵していたものが豊国神社に奉納されたそうです。
太刀を振る真似だけで骨を断つとの話もあり「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」とも呼ばれるほどの名刀です。
番組ではこれの実物が紹介されるみたいですが、宮入刀匠さんが復元した「復元骨喰藤四郎」が予告映像には映っていました。
豊臣秀吉が妻ねねに宛てたラブレター(豊公御書 まんどころ宛)
番組予告では歴史学者の磯田道史さんが豊国神社に訪れて、秀吉が妻ねねへ送ったラブレターを大発見と告知されていました。
これは宝物館に展示されている「豊公御書 まんどころ宛」と呼ばれているものです。
平たく言えば、豊臣秀吉が妻おねに宛てた自筆の手紙ですが、内容は「戻ったらいろいろ話をしようね」という自分の無事を妻に伝える内容の手紙です。
正確には朝鮮出兵の際に宛てた手紙で「仕事がうまくいきそうだから、帰ったらお話しようね」という内容です。
番組ではこれを「豊臣秀吉が妻ねねに宛てたラブレター」として紹介するそうです。
豊臣秀吉の枕(獏御枕)
宝物館には豊臣秀吉の枕も展示されています。
夢を食べる動物とされるバク(獏)を模した枕です。
獏御枕(ばくおんまくら)と呼ばれていますが、安眠のために願掛けでバクの形にしたそうです。
この枕は豊臣秀吉の晩年に使用されたものですが、その時期は秀吉は悪夢に悩まされていたそうです。
その悪夢は豊臣秀次(秀吉の甥)の夢とか織田信長に受けたパワハラの夢だと諸説ありますが、その悪夢から逃れ安眠のために寝室に置かれたものと言われています。
でも、なぜ秀吉は秀次の悪夢を見るようになったのでしょうか。
秀吉は子供(鶴松)を早くに亡くしており、甥の秀次を養子にしていました。
しかし、その後秀吉に実の子である秀頼が生まれたので、秀次は疎んじられていきます。
その後、秀次は謀反の疑惑をかけられて、最終的には高野山で自刀し果てるのですが、秀吉は秀次に関係する者すらも多数処刑するという暴挙に出たのです。
そのため、豊臣家自体の数が少なくなり、徳川家康の力が増していきます。
実子の秀頼はまだ幼く、豊臣秀吉の晩年は心配事だらけだったようです。そういった心配事が夢にも出てくる(悪夢)ので、獏の枕を愛用していたのでしょうか。
豊臣秀吉の歯(豊公御歯)
宝物館で見られる豊臣秀吉自身のものといえば「豊公御歯」です。
これは、本物の豊臣秀吉の奥歯で、秀吉が部下である加藤嘉明に贈ったとされているものです。
晩年の秀吉の最後の1本だった歯だと言われていますが、これも晩年の秀吉がたいそう苦労したことを伝えるものです。
要するに歯が全部抜けるほど苦労していたということですが、秀吉が加藤嘉明に宛てた書状には「歯1本、お前に預けておく」とだけ書かれています。
秀吉の没後、徳川幕府になると、豊臣家のシンボルとなるものは徳川家康によってことごとく破壊されてしまいます。
豊臣秀吉はもしかしたらそんな時代が来ることを予見していたのかもしれません。