京都・清水寺にある「日本一悲しい鬼退治の物語」の石碑「アテルイ・モレの碑」が、2020年7月20日放送の『所JAPAN』で紹介されるそうです。番組では、京都に残る鬼伝説を徹底調査をすると予告されていて、平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂の東北征伐の話が鬼退治伝説として紹介されるみたいです。
京都・清水寺にある「日本一悲しい鬼退治の物語」の石碑が『所JAPAN』で紹介
2020年7月20日放送の『所JAPAN』の予告を見ていたところ気になることが書いてありました。
テーマは「鬼」
番組では、京都に残る鬼伝説を徹底調査をすると予告されていたのです。
予告では京都にある鬼にまつわるエピソードが紹介されるとあり、ひとつは京都・北野天満宮にある「伝説の刀 鬼切丸」です。
さらに京都屈指の観光スポット・清水寺にも鬼伝説があると書かれており、清水寺には「日本一悲しい鬼退治の物語」があると書かれていました。
京都・北野天満宮にある「伝説の刀 鬼切丸」については、以前にも「渡辺綱の鬼退治伝説」として紹介したことがありますが・・・・
「日本一悲しい鬼退治の物語」というのは一体なんのことなのでしょうか?
アテルイ・モレの碑
京都の清水寺にある「日本一悲しい鬼退治の物語」の石碑というのは・・・・
アテルイ・モレの碑
のことです。
阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)は東北の人で、平安時代には「蝦夷(えみし)」と呼ばれ討伐対象となっていた人々のことです。
西暦8世紀頃、平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂は彼らの討伐を命じられ、日高見国胆沢(いさわ、現在の岩手県水沢市の北上川流域)で独自の文化圏を築いていた蝦夷と戦います。
その蝦夷の首領が阿弖流為(アテルイ)です。
阿弖流為は近隣の部族と連合し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の何度にも及ぶ侵略と戦います。
戦いは十数年にも及びますが、西暦801年に坂上田村麻呂は胆沢を帰順。
阿弖流為は戦いに疲れた郷里の人々を憂慮し、副将である母禮(モレ)と共に坂上田村麻呂の軍門に下ったのです。
坂上田村麻呂は阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)を伴い(連行し)京都に帰還します。
坂上田村麻呂は二人の武勇と器量を評価し、中央政府に二人を登用して東北経営をすべきだと進言します。
しかし、公家達の猛反対に会ってしまい、は阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)は河内国(今の大阪)で処刑されてしまうのです(ここがたぶん日本一悲しいという話になると思われます)。
清水寺は坂上田村麻呂が建立したお寺です。
それにちなんで、阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の石碑が清水寺の境内に設置されたのだそうです。
このお話は史実ではありますが、番組では「鬼退治伝説」として紹介されるみたいです。
たしかに、敵を鬼にたとえたのが鬼退治伝説ではありますが、アテルイ・モレのお話自体は史実であることは知っておいたほうが良いと思います。
所JAPAN 2020年7月20日 予告
所JAPAN 2020年7月20日 予告は以下の通りです。
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