京都には残念な石があります。それが京都府木津川市にある「残念石」です。では、なぜこれが残念石と呼ばれるようになったのでしょうか? 実はすぐ近くの大野山から大阪城の構築のために切り出された石なのですが使われなかったのです。
京都には残念な石がある
京都にも「奇石」と呼ばれる石があります。
京都府木津川市にある石なのですが、とっても面白い名前が付いている石です。
その石というのが・・・・
残念石
という名前の石。
残念石は京都府木津川市の木津川ほとり、赤田川にある石のことです。
では、なぜこの石が残念なのでしょうか?
実はこの石がココにある理由が残念だったのです。
京都にある残念な石「残念石」を見に行ってきた
さて、残念石があるのは勝手神社の少し先の右側です。
府道47号線沿いにあり、JR加茂駅から府道を西へ歩いて20分くらいのところにあります。
すぐ近くには木津川が流れており、その支流である「赤田川」にその立て看板があります。
看板の脇にも小さな石が数個、これも「残念石」のひとつです。
なにやら細長く加工された石で、詳しく見ると小さな穴がいくつか空いている石です。
とはいえ、石が数個あるだけで、わざわざこんな辺鄙な場所まで来て・・・・
残念!
という話ではありません。
京都にある残念な石「残念石」とは
実は、もう少し下側にも巨大な残念石があるのです。
看板の右に赤田川へ降りる坂道があり、そこを降りると・・・・
残念石の巨石群があるのです!
こんなところになぜ巨大な石があるのか?
こちらの巨石にも加工された痕跡が見て取れます。
この加工の跡なのですが、実は石を切り出した時のクサビ跡が残っているのです。
実はこれお城で使われるはずだった石なんです。
安土桃山~江戸時代の大名「藤堂高虎」が城を構築する際に運んできた石なのですが、使われなくて石を河原に置いたまま400年という石です。
城を建てる時にいらなくなって捨てられたから「残念石」ではなく、大阪城の石垣になる予定だったのが「残念石」です。
つまり石の備蓄場なのですが、結局使われなくて「残念石」なんですね。
藤堂藩は三重県の大名なのですが、津や伊賀など、今の京都である木津川付近にも所領を持っていて、山城・大和地域にあるこの領地は「城和領」と呼ばれ五万石ほどを所領としていたそうです。
この石は徳川幕府の二代目将軍「徳川秀忠」の命により、大阪城の石垣づくりのために切り出されたものです。
残念石の正体は400年ほど前に大阪城の石垣になるはずだった石のこと。
石はこの残念石の南西にある「大野山」から切り出して数千個が大阪に運ばれました。
運ばれなかった石がこの木津川周辺に520個あって、それらを総称して「残念石」と呼ばれています。
残念石はどこにある?
では、この残念石は残念石は京都府木津川市のどこにあるのでしょうか?
前述のようにJR「加茂駅」から西へ歩いて20分ほどのところです。
手前には「勝手神社」があるので、それを目指して歩くとよいでしょう。