2019年5月27日と28日に行われた『ブラタモリ京都編』撮影ロケのまとめです。5月27日午前中から「西院駅、三条西小路(山ノ内)、出町桝形商店街、千両ヶ辻(西陣)」で、『ブラタモリ』撮影隊が目撃されています。特に山ノ内では地形図を見ていたという目撃情報があるので「天井川」を見た可能性が大です。
2019年5月27日と28日に『ブラタモリ 京都編(太秦、西院、出町柳、西陣)』の撮影ロケが目撃される
2019年5月27日午前中から、京都でまたタモリさんが目撃されています。
目撃場所は4か所「西院駅、三条西小路、出町桝形商店街、西陣」となっており『ブラタモリ』の撮影ロケであるのは間違いないでしょう。
しかし、いまいちテーマが絞り込めない状況です。
西院駅から三条西小路であれば嵐電で太秦天神川あたりまでの地形や古墳を見に行く可能性が高いのですが、なぜか「出町桝形商店街」でも目撃されているのが不思議なところです。
西院駅には特になにもなく、地形的なものや史跡は思い当たりません。
あるとすれば、ここから嵐電にのって帷子ノ辻駅までの間に点在する古墳や複雑怪奇な高低差の天神川の地形でしょう。
しかし、三条西小路より西での目撃情報がなく、その後は鴨川のある出町柳(出町桝形商店街)での目撃情報となっており、今回のテーマを絞り込むのは難しい状況です。
タモリさんは2019年5月28日も雨の中ですが京都を歩いていました。
上の写真は大宮通今出川のローソン100前。
この写真を撮影する2分前くらいに、ここでタモリさんと林田アナウンサーを見かけました。
【三条西小路】5月27日、周辺には秦氏の古墳や神社が点在する。また、天神川周辺の地形の高低差は見応えがある。
【出町桝形商店街】5月27日、鯖街道の京都終着点とされる
【西陣】5月28日、大宮通今出川のローソン100前でタモリさんを目撃(千両ヶ辻がある)
嵐電の西院駅(さいえき)
一番最初に目撃されたのは、京都の西院にある「嵐電・西院駅(さいえき)」の前です。
阪急の「西院駅(さいいんえき)」に接続し、京都市民にとってはターミナル駅的な存在です。
とはいえ、ここで『ブラタモリ』で見るような場所はないということと、駅であることから恒例のスタート地点であると考えています。
三条西小路(山ノ内)の天井川
さて、西院駅からタモリさんはどこへ行ったのでしょうか。
実は「三条西小路(山ノ内)」で目撃されています。
ここまで、嵐電で移動しているのはほぼ確実なのですが、修学旅行生の多い時期に嵐電でのタモリさんの目撃情報はありません。
ただ、ここで恒例の「地形図」を持っていたということは、ここから天神川までの高低差のある地形を見た可能性が高いと言えます。
この「山ノ内」なのですが、嵐電が急に坂道を登る場所があります。
それが「三条西小路(山ノ内)」の天井川と呼ばれるところで、沿岸に並ぶ家屋の屋根よりも高いところを流れていた川があったのです。
これは上の写真で見るとわかりやすく、道よりも低い場所に家屋の屋根が見えます。
この西小路通というのは、旧紙屋川が南北に通っており、いわゆる天井川(屋根より高いところを通る川)と呼ばれていたのです。
そのため、三条通を西小路で越えるところは斜面になっており登る感じで嵐電は通っていることになります。
こういった天井川は他にも千代原口から物集女街道を南へ行った「サイゼリヤ 御陵溝浦店」の横を流れる天井川(地図)があります。
ということで、タモリさんはこの嵐電「山ノ内駅」で下車して、「三条西小路(山ノ内)」の天井川を見たのはほぼ間違いありません。
出町桝形商店街
さて、タモリさんはこの後に「出町桝形商店街」でも目撃されています。
鯖街道の終着点があるところではありますが、地形的なものや高低差で見るような場所はありません。
あるとすれば「御土居(おどい)」で、南側に「史蹟 御土居(廬山寺)」がありますね。
千両ヶ辻(西陣)
2019年5月28日は雨ですが、西陣でブラタモリの撮影隊を目撃しています。
大宮通今出川のローソン100前にある「千両ヶ辻」の史跡案内板の前でタモリさんと林田アナウンサーがいたのを見ました。
上の写真は大宮通を下るタモリさん、二条城方面へと向かいました。
前後100メートルは完全にスタッフで、近寄るなオーラがものすごいです。
千両ヶ辻(西陣)は江戸時代に西陣問屋街として栄えた場所で、千両に値する物資が往来していたと言われているところです。
5月27日は旧紙屋川(天井川)を見ていましたが、そこも江戸時代に物資を運んだ運河があったところです。
ということは、現在撮影中の『ブラタモリ 京都編』は商業の地としての京都を紹介するのかもしれません。
ブラタモリ「京都・西陣~織物の町・西陣はどうできた?~」2019年7月13日放送確定
さて、この記事を書いた後日にNHKの『ブラタモリ』公式サイトで、京都編の予告が公開されました。
タイトルは「京都・西陣~織物の町・西陣はどうできた?~」
千両ヶ辻(西陣)を歩いていたタモリさんは、西陣の織物について探求されていたようです。
また、三条西小路(山ノ内)の天井川を見ていたのは、たぶん江戸時代の物資運送経路を確認していたものと思われます。
嵐電・西院駅(さいえき)はスタート地点として、出町桝形商店街はなんなのでしょうか?
鯖街道は今回のテーマとはあまり関係なさそうです。
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応仁の乱発祥の地
応仁の乱発祥の地「御霊神社」にタモリさんは予告を見る限り、この場所へも立ち寄っています。
地元では「上御霊神社」と呼ぶことも多く、京都御苑の東南に「下御霊神社」というのもあります。
応仁の乱は山名宗全(西軍)と細川勝元(東軍)の両勢力の小競り合いが長引いた戦いです。
上の写真は西軍の山名宗全の邸宅跡で、このエリアを「西陣」と呼ぶのは山名宗全の西軍の陣地であった場所だからです。
対して、東軍の細川勝元邸は史跡としては存在しておらず、地名としての「東陣」も残っていません。
場所としては現在の小川児童公園北側で、そこに細川勝元邸がありました。
先ほどの山名宗全の邸宅跡との位置関係は「堀川通を挟んでお隣さん」ということで、応仁の乱はご近所さん同士の争いだったことが伺われます。
応仁の乱の主戦場「小川と百々橋(どどばし)の礎石」
もうひとつ、予告に記載はありませんが、公開されている写真を見ると、タモリさんが穴の開いた石に手をかざしているものがありました。
これ「百々橋(どどばし)の礎石」です。
昔、この辺りには小川が流れており、百々橋が架けられていたと『中昔京師地図』に記載もあります。
実は応仁・文明の乱においてこの橋から堀川通の一条戻橋までが主戦場となったのです。
その4つあった橋の礎石のひとつが現在地に史跡として残されています。他にも「洛西の竹林公園、室町小学校」にもこの百々橋(どどばし)の礎石が保管されています。
船岡山の岩に隠された謎
さて、もうひとつ予告に記載された場所がありました。
それが「船岡山」です。
予告では「町の発展のカギはヘリにあり?船岡山の岩に隠された謎」と書かれているのです。
船岡山の岩というのは「磐座(いわくら)」のことです。
磐座というのは神が降臨したとされる場所で、京都には他にも神山(京都産業大学)に磐座があります。
応仁の乱では西陣の拠点にもなりましたが、この岩は平安京の北の目印となった岩で、平安京では北を意味する「玄武」をこの船岡山としていました。
上の写真は船岡山頂のものですが、他にも「船岡山磨崖仏」と呼ばれるものがあります。場所は船岡山西側の小さい祠と石仏があるところにあるむき出しの小さい岩肌です。
船岡山磨崖仏はうっすらと仏様が彫られているのが分かる石のことです。
ブラタモリ 京都編(西院~山ノ内、天井川)まとめ
ということで、2019年5月27日と28日に行われた『ブラタモリ京都編』撮影ロケのまとめでした。
『ブラタモリ』の撮影ロケは通常で2日間行われるので、28日が最終日です。
放送は1回もしくは2回に別れますが、両日とも京都市内の狭い範囲なので放送は1回分だと思われます。
2015年の第一回京都編から通算で9回目の『ブラタモリ京都編』で、ひさしぶり(初回以来)の京都の北西エリアでの撮影ロケとなりました。
放送日は2019年7月13日です。