明治時代、京都府木津川市に「大仏鉄道」という鉄道が走っていました。全長9.9kmという短い路線でしたが、名古屋方面から奈良の大仏を見に行く観光客で賑わったそうです。しかし、わずか9年で廃線となり「幻の大仏鉄道」と呼ばれるようになります。
今回はその「幻の大仏鉄道の遺構」を木津川市の田園や山の中まで見に行って来ました。
そうです・・・・京都秘境ハンターが始まりますよ!
幻の大仏鉄道を見に行く【京都秘境ハンター】
明治時代、京都府木津川市に「大仏鉄道」という鉄道が走っていました。
大仏鉄道は現在のJR関西本線の前身である私鉄「関西鉄道(かんせいてつどう)」が加茂駅と大仏駅(奈良市佐保)の間を結んだ鉄道路線のことです。
1898年(明治31年)4月19日に「加茂駅~大仏駅(全長:約8.8km)」が開通、1899年(明治32年)5月21日には奈良駅まで延伸(全長:約9.9km)、名古屋方面から奈良の大仏を見に来る人々で賑わったと言われています。
しかし、その大仏鉄道は1907年(明治40年)8月20日に僅か9年で廃線となってしまうのです。
大仏鉄道が廃止された理由は、難所であった「黒髪山の急坂」を回避するために新設された平坦路線(加茂駅~木津駅~奈良駅)が明治40年に開通したためです。
また、1906年(明治39年)3月31日に公布された「鉄道国有法」により、私鉄であった「関西鉄道」も国有化されることになったことも大仏線廃止のひとつの理由でした。
では、この僅か9年程度しか存在しなかった「幻の大仏鉄道」、今では全く痕跡がないのでしょうか。
いえ、今でもかつて存在した「大仏鉄道」の痕跡を見ることができる場所があるのです。
今でも残る「幻の大仏鉄道」の遺構
さて、今回の『京都秘境ハンター』スタート地点はJR関西本線「加茂駅」からとなります。
いわゆる「幻の大仏鉄道」の始点駅で、ここから奈良の「大仏駅」まで大仏鉄道が開通していたからです(後に奈良駅まで延伸)。
加茂駅は1897年(明治30年)11月に開業、現在の「加茂駅」でその面影が残るのは「ランプ小屋、駅4番のりば、赤レンガ積みホーム、跨線橋脚」です。
・駅4番のりば
・赤レンガ積みホーム
・跨線橋脚(こせんきょうきゃく)
今回は、この駅から「幻の大仏鉄道」を見て行くことになります。
加茂駅からは、かつて存在した「大仏駅」までは約8.8km。
奈良駅までは約9.9kmの道のりです。
その間には「幻の大仏鉄道」の遺構が15箇所存在しています。
駅東公園動輪モニュメント
今回のルートでは、ここが最初の「幻の大仏鉄道スポット」になります。
加茂駅東口に出ると、広場に「駅東公園動輪モニュメント(2007年3月~)」と呼ばれる大仏鉄道に関連するスポットがあるのです。
そこには「国鉄8620形蒸気機関車」という日本で初めて本格的に量産されたテンダー式蒸気機関車の主動輪が飾られていました。
この車輪は「スポーク動輪」と呼ばれるタイプで、1914年から1937年頃まで採用されていた車輪です。
ランプ小屋
次に見に行ったのが「ランプ小屋」です。
加茂駅の南側にある踏切で線路の西側へ行き、少し駅側に戻ると赤いレンガの建物が見えてきます。
こちらは加茂駅の開業時からある建物です。
ランプ小屋というのは名前の通りで、電化される前の時代に「ランプ、燃料」を保管していた倉庫のことです。
JR奈良線の「伏見駅(伏見稲荷大社前)」にも小さめのランプ小屋が残っており、道路から眺めることができるようになっています。
駅構内からも見えるのですが、外から見るほうが見やすいかと思います。
C57SL展示
大仏鉄道が走っていたのは明治時代のことです。
鉄道は石炭と水で走る「蒸気機関車」が走っていた時代でした。
その当時の蒸気機関車ではありませんが昭和初期までJR関西本線を走っていた「C57 56」を見ることができます。
昭和12年製の汽車で「貴婦人」と呼ばれていたスタイルの良い蒸気機関車です。
木津川市立加茂小学校へと向かう線路沿いの細い道の途中にあります。
観音寺橋台
先ほどの蒸気機関車の場所から徒歩30分ほど離れますが、現在の「JR関西本線」が走っている線路の脇にかつて走っていた「大仏鉄道」の遺構が残っています。
それが「観音寺橋台」です。
京都府道44号を南下、「高田寺(こうでんじ)」という奈良時代に建立されたお寺を目指して歩きます。途中の田んぼに「観音寺橋台」と書かれた看板があり、それが田んぼの中を向いているのですが、それには従わずに府道44号を信号のある交差点まで歩いていきます。
交差点を右折すると高田寺がある「加茂町高田」へ行くことができます。
観音寺橋台は、現在のJR関西本線の橋台の隣りにあります。
線路が走っているのが現在のもので、線路がないのが「大仏鉄道の橋台」です。
とはいえ、この2つの橋台はほぼ同じ時期に作られました。
前述のように、平坦路線(加茂駅~木津駅~奈良駅)が明治40年に開通したのですが、その線路が現在のJR関西本線の線路だからです。
観音寺小橋台
大仏鉄道の遺構でいくつも見られる「橋台」は花崗岩の切り石積みで作られており、線路で分断された畑を行き来できるようにしているものです。
線路が「土盛りの築堤」の上を走っていたため、こういった「橋台」がいくつもあるのです。
その中でひとつガイドブックに掲載されていない橋台があり、それが「観音寺小橋台」です。
この地点から、大仏鉄道は現在のJR関西本線とは離れて奈良方面に向かうことになります。
次の遺構「鹿背山橋台」へ向かう道も左へと向かっており、ここからは竹林の中を通って行くことになります。
この大仏鉄道の遺構を巡るコースは農家さんの私有地などと隣接しており、農道を通るように歩いていくコースです。随所に案内板があり、コースが指示されていますので、その通りに進んでください。
鹿背山橋台
農道から舗装された道に出ると、大仏鉄道の遺構の中でも屈指の人気スポット「鹿背山橋台(かせやまきょうだい)」へと至ります。
畑へ流れる水路を渡る長さ1mほどの短い橋が(かつて)この場所にあり、その遺構を見ることができます。
水路にあるからか、少し錆びたような花崗岩の石積みを見ることができます。
この鹿背山橋台を見ると橋台部分は花崗岩の切り石が整然と並んでいるのですが、手前の石垣は形の不揃いな石積みになっているのが分かります。
橋台は西洋の組石技術によって作られているのですが、脇にあるのは日本の石垣技術で作られた石垣だからです。
梶ヶ谷隧道
先ほどの橋台から先は、比較的最近になって開発された住宅街になってきます。
そこにあるのが「城山台公園(大仏鉄道公園)」で、近くには「梶ヶ谷隧道(かじがたにずいどう)」と「赤橋」と呼ばれる遺構が残っています。
上の写真が「梶ヶ谷隧道」で農地側から撮影したものですが、反対側は整備されてキレイになっています。
長さが異なる長方形の煉瓦(レンガ)を組み合わせるイギリス積みと呼ばれる技術で作られています。アーチ部分(迫石=せりいし)は同じ長さのレンガを使う長手積みによって組まれた4層の煉瓦アーチになっています。
下部はこれまでもあった花崗岩の切り石が積んであります。
遊歩道が整備されており、すぐ隣りには「赤橋」もあります。
赤橋
他の橋よりも強度を高めた技術によって造られたのが「赤橋」です。
梶ヶ谷隧道と同じイギリス積みで造られていますが、一番上には「笠石」と「帯石」が組まれています。
この「赤橋」は他よりも複雑な構造になっており、強度を増すための工夫が随所に見られます。
一番上の「笠石」と下にある「帯石」は花崗岩で造られている強度を高めるためのものです。
柱部分の隅にはレンガに混ざって角(カド)の部分にだけ「隅石」が組んであり、長さの異なる石を交互に積む「算木積み」という技術で強度を高めてあります。
前述の赤レンガ部分に見られる「イギリス積み」も長さの異なるレンガを横一列ごとに組み合わせて強度を高める建築手法です。
この赤橋は他に比べて強度が高い橋と言えますが、長さの異なるレンガ等を組み合わせることで強度が高まるという説には異論もあります。
城山台公園(大仏鉄道公園)
先ほどの「赤橋」の隣りにあるのが「城山台公園(大仏鉄道公園)」です。
ここは遺構ではなく単なる公園ですが、大仏鉄道の説明が書かれた案内板が設置されています。
当時の関西鉄道の全貌が分かる路線図が描かれており、当時の関西鉄道が周辺鉄道会社を合併することで路線規模を広げていった経緯が分かります。
井関川橋梁跡
大仏鉄道公園から細い田舎道を南へ向かいます。
この田舎道はかつて大仏鉄道が走っていた線路だった所で、先に進んで行くと「梅谷」と呼ばれる交差点に着きます。
ここには「井関川橋」というのが存在していたのですが、その「井関川橋梁跡(いせきがわきょうりょうあと)」は現存はしていません。
交差点に案内板があり、そこにかつて実在していたことが書かれています。
すぐ近く(横を通ります)に元・小学校の分校を再利用した「うめだにカフェ」というのがあるのですが、そこ付近から土盛りの高さがある築堤が造られて、現在の道よりも高い場所に鉄橋がありました。
山から下りて、交差点の窪地からさらに山を登る地形になっていたことから高低差を無くすために鉄橋が造られていたのです。
カフェの南側に「消防屯所」があります。
そこに花崗岩の積石が捨ててあり、それがかつて実在した「井関川橋梁」の遺構と言えるでしょうか。
松谷川隧道、関西鉄道社章レプリカ
梅谷の交差点から京都府道44号を南下すると「梅美台西」交差点へと至ります。
そこにあるのが「松谷川隧道(まつたにがわずいどう)」で、徒歩の場合は木津南交番の北から階段(関西鉄道社章レプリカもある)、車両の場合はカフェ「リエ・幡」の右脇道から近くまで行くことができます。
アーチ部分(アーチ環)は花崗岩で造られた円アーチでよく見かける形式ですが、下部にある「隅石(迫受石)」は長さが異なる花崗岩の切石が積まれた「算木積み」によって造られていました。
この「松谷川隧道」では、所々で黒いレンガが使われています。
通常の赤レンガより高温で焼く「焼き過ぎレンガ」のことで、外側は「赤レンガ、黒レンガ」を交互に並べてあるのが分かります。
黒レンガは強度と耐久性に優れていると言われており、ここでも強度を高めるための技術が使われています。
奥は塞がれていますが、農業用水路が通っており、その上を木の板かなにかでフタをして農道として使っていたようです。
補足(奈良県側にある鹿川隧道)
さて、今回の「京都秘境ハンター」は幻の大仏鉄道を見に行ってみました。
ですが「松谷川隧道」より南は・・・・
なんと奈良県です!
奈良県道44号沿いに「鹿川隧道の案内板」があり、真下に鹿川隧道(しかがわずいどう)が実在しています。
しかし、その場所は私有地で公開されていないので近づくことはできません。
なお、今回見に行ったのは歴史に強い温泉担当ではなく、食い物と道に強い「ノーディレイ(@nodelayworks)」です。
彼は歴史より食べ物という人なので、鹿川隧道に近寄れないと知ると、めったに来ない奈良県側へ入国して食べ物探しの旅へと向かったそうです。しかし、その後は彼の姿を見たものはいないとも言われています。
ちなみに、上の写真は温泉担当が行った時の写真で、今回は奈良県側の大仏鉄道遺構は紹介しないので「幻の大仏鉄道 不完全ガイド」としました。
もし、奈良県でノーディレイを見かけた方がいらっしゃいましたらご一報いただければと思います!