8月5日放送NHK『歴史秘話ヒストリア』で、京都の「晴明神社」が特集されます。夏らしき怪奇譚な話なのですが、陰陽師であった安倍晴明の話です。
安倍晴明は秘術を駆使して妖怪退治をしたという創作が今は有名ですが、実際には天皇家や公家に占いをしていた学者のことです。
晴明神社が『歴史秘話ヒストリア』で紹介
8月4日放送NHK『歴史秘話ヒストリア』で京都の「晴明神社」(せいめいじんじゃ)が取り上げてもらえるようです。
予告では「平安京ダークサイド 陰陽師・安倍晴明のヒミツ」となにやら気になるタイトルが付いていました。
京都の上京区には「晴明神社」があり、近隣には陰陽師「安倍晴明」(あべのはれあき)ゆかりの場所がいくつかあります。
晴明神社
安倍晴明といえば陰陽師ですが、それで「神社」というのはなんとなく不思議にも見えます。
しかし、陰陽道(おんみょうどう)というのは易学・天文学のことで、これ自体が宗教ではありません。
「晴明神社」は陰陽師・安倍晴明を祀っている神社で、安倍晴明の功績を讃えるために一条天皇が晴明の屋敷跡に設けた稲荷社(1007年)とされています。
安倍晴明は天皇家や公家に占いをする国家公務員だったからです。
晴明神社は安倍晴明の屋敷跡に創建されたと、現在の「晴明神社」も公式に言っています。
しかし、京都には別の場所にも「安倍晴明屋敷跡」というのがあります。
上の図の範囲とはまったく別の「土御門町」という場所です。
安倍晴明屋敷跡(土御門町)
「土御門町」というのは京都の地名ですが、土御門家というのは安倍晴明の末裔であり宗家のことです。
それと同じ名前の町名「土御門町」は狭いエリアですが、近年の研究ではここに安倍晴明の屋敷があったとされています。
ちょうど、現在の「京都ブライトンホテル」の南西角にある駐車場付近であったとされ、土御門町はちょうどちょっと広めの屋敷があるくらいの広さです。
先ほどの「晴明神社」からは少し離れており、「晴明神社」が安倍晴明の屋敷跡に建てられたというのが間違った伝承なのだと推測されます。
国家公務員だった安倍晴明が、晴明神社の公式サイトの記載のように「東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通」という広大な敷地に屋敷を持っていたとは到底思えません。
京都府京都市上京区土御門町
安倍晴明 聖剣伝説
さて、今回の『歴史秘話ヒストリア』には気になる予告がされています。
「夏、京都“怪異”の季節にヒストリアでは陰陽師・安倍晴明についてお送りする。鬼・呪い・怨霊との戦いに続々繰り出されるさまざまな秘術!知られざる“聖剣”伝説も!?」
・・・・などと、気になるパワーワードが書かれているのです!
安倍晴明は実際に鬼・呪い・怨霊と戦ってはおらず、これは夢枕獏氏の創作です。
しかし、予告では「聖剣伝説」と書かれているのです。
「反閇」(へんばい)という陰陽道の所作があり、その際に刀剣が使われていたようです。「七聖剣」(しちせいけん)という儀式用の刀剣があるので、それが紹介されるのかもしれません。
しかし、安倍晴明が刀剣を用いたという資料がないため、関連する伝承として、一条戻橋の伝説「渡辺綱の鬼退治」に出てくる「髭切」のことが紹介されるかもしれません。
北野天満宮に所蔵されている「髭切・鬼切」と呼ばれる刀剣のことで「渡辺綱の鬼退治」で使われたものです。
渡辺綱は安倍晴明にそそのかされて相談して鬼退治をしているので、その話も無関係とは言えません。
1月29日放送『林先生が驚く初耳学』で「節分で鬼が恐れる名字」が紹介されます。これは京都の「一条戻橋(一条戻り橋)」の伝説「渡辺綱の鬼退治伝説」のことだと思われます。