京都には大石内蔵助ゆかりの地がたくさんあります。理由は討ち入りの首謀者である大石内蔵助が討ち入りまでの約1年間を京都市山科区で過ごしたからです。今回はそんな京都にある忠臣蔵(大石内蔵助)ゆかりの名所をまとめました。
京都にある忠臣蔵(大石内蔵助)ゆかりの名所
先日の12月14日は赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)が実行された日でした。
例年であれば、山科区の大石神社や岩屋寺では「山科義士まつり」が行われるのですが今年は中止となっています。
また、忠臣蔵はこの時期であれば時代劇として毎年特別番組で放送されるのですが、今年はそれもありませんでした。
そのため、2020年は忠臣蔵が盛り上がらない年になりました。
さて、赤穂浪士といえば討ち入った吉良邸(東京都)や赤穂浪士の地元(兵庫県赤穂市)が有名ですが、京都には大石内蔵助ゆかりの地がたくさんあります。
理由は討ち入りの首謀者である大石内蔵助が討ち入りまでの約1年間を京都市山科区で過ごしたからです。
今回はそんな京都にある忠臣蔵(大石内蔵助)ゆかりの名所まとめました。
大石神社(おおいしじんじゃ)見学無料
京都市内にある忠臣蔵(大石内蔵助)ゆかりの地として一度見ておきたいのが「大石神社(おおいしじんじゃ)」です。
こちらは「大石」とあるように、大石内蔵助を祭神とする神社です。
境内の提灯には大石内蔵助の家紋を描いており、ここがまるで忠臣蔵の舞台のような雰囲気を感じることができます。
ぜひ見てもらいたいのが「忠臣蔵宝物殿」で、拝観無料でありながら大石内蔵助の持ち物だったものや、赤穂の義士達を描いた書などが数多く展示されています。
また、映画やドラマで大石内蔵助を演じる役者が参拝する神社として、宝物殿にはスマップ木村拓哉さんが来社したことの記念に映画『忠臣蔵 1/47』のポスターなども展示されています。
岩屋寺(いわやでら)見学一部有料(300円)
大石内蔵助が隠棲していた場所が「岩屋寺(いわやでら)」です。
先ほどの「大石神社」から南へ徒歩数分のところにあるお寺で、通称「大石寺」とも呼ばれています。
主君であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹後、討ち入りまでの約1年間をこの土地で過ごして討ち入りの計画を練っていたと言われます。
境内には「遺髪塚、宅址、忠誠堂」があり、忠誠堂には大石内蔵助坐像が安置されています(本来は納骨堂)。
また本堂の宝物殿と木像堂には浅野内匠頭の位牌をはじめ、四十七士の木像と位牌、大石内蔵助の遺品が展示されています(有料:400円)。
来迎院(らいごういん)見学有料(300円)
大石内蔵助の建てた茶室「含翠軒(がんすいけん)」がある来迎院(らいごういん)も大石内蔵助ゆかりの名所です。
紅葉の名所でもある「今熊野観音」へ至る橋の手前を右に曲がると奥にあるお寺です。
大石内蔵助が山科に住む際に寺請証文(てらうけしょうもん)をこの来迎院で発行していた関係から茶室 含翠軒(がんすいけん)を寺に寄進しています。
含翠軒の拝観は有料(300円)、中には大石内蔵助の念持仏(勝軍地蔵尊)や赤穂浪士に関する遺品が多く残されています。
また、希望者には茶室でお抹茶(500円)を飲むことができます。
法住寺(ほうじゅうじ)見学有料(300円)
三十三間堂の東にあるお寺「法住寺(ほうじゅうじ)」には浅野内匠頭と四十七士の木造が安置されており、大石内蔵助が討ち入りの成功を祈願したお寺です。
討ち入りの日の12月14日には義士会法要が行われますが、通常時は普通のお寺です。
大石内蔵助は山科で隠棲中に山科街道を通って遊郭へ通う道すがらにここで祈願していたそうです。
大石内蔵助が祈願した本堂の「身代り不動」は有料(300円)ですが拝観することができます。
拝観時間:9時~16時
拝観料:300円
駐車場:なし
公式サイト:http://hojyuji.jp/accessinformation/
瑞光院(ずいこういん)&浅野稲荷(あさのいなり)見学不可
山科駅の北東側にある毘沙門堂へと向かう道の途中にあるお寺の「瑞光院(ずいこういん)」は大石内蔵助の菩提寺であり、大石内蔵助が浅野内匠頭の短刀と衣などを埋めた墓と四十六士の遺髪塔があります。
四十七士ではなく四十六士であるのは義士のひとり寺坂吉右衛門は切腹していないためひとり少ないことになっています。
ただ、通常非公開となっており外から見るだけとなっています。
寺内には浅野内匠頭の名の付く「浅野稲荷(あさのいなり)」もあります。
このお寺は昭和37年(1962年)11月にこちらに移転してきましたが、大石内蔵助の時代には京都市上京区の堀川紫明(南西側)にありました。
瑞光院 赤穂義士遺髪塔跡碑 見学自由
昭和37年まで瑞光院があった場所が「瑞光院 赤穂義士遺髪塔跡碑」です。
京都市上京区の堀川通沿いに赤穂義士遺髪塔跡があり石碑があります。
昭和37年(1962年)11月に瑞光院は山科区に移転したためで、大石内蔵助の時代にはここに瑞光院がありました。
浅野内匠頭の墓もここにあったものが山科区に移転しています。
大石内蔵助の遺志により、瑞光院の僧・宗海禅師は四十六名の遺髪を浅野内匠頭の墓近くに納めて遺髪塔を建立したのが始まりです。
見学自由