京都御所の北東角は「猿ヶ辻」と呼ばれています。そこでは神猿(まさる)と呼ばれる猿が御所を鬼から守るために見張りをしているのですが、京都御所でそこだけ角がなく凹んでいるのです。では、なぜ京都御所の北東角は凹んでいるのでしょうか?
京都の北東角はなぜ凹んでいるのか
京都の町を歩いていると、時々ですが敷地の角が斜めになって角(かど)が取れているところがあります。
例えば、下京区の「稽首院」。
上の写真のように北東角だけ角ばらないで角を取ってあります。
もちろん、全部の敷地で北東角がないわけではないのですが、昔の寺社仏閣などでこのような情景を見かけることがあります。
有名なのが「京都御所」です。
京都御所の北東角も角を取って凹んでいるのですが、なぜこのように角を無くしているのでしょうか?
京都御所の北東角が凹んでいる理由
京都の寺社仏閣(個人宅など)の敷地で北東角が凹んでいる理由は京都御所を見るとよく分かります。
京都御所の北東角は「猿ヶ辻」と呼ばれていて、そこも角が取られて凹んでいるのです。
京都御所でも角がないのはこの北東角だけで、さらに「猿ヶ辻」という名称まで付いているのもここだけです。
この北東角だけ角がないのは「陰陽道」によって京都という町が造られているからです。
陰陽道では北東というのは「鬼門」にあたります。
京都御所も北東角(鬼門)を「妖怪、鬼、怨霊、あやかし」から守るために、陰陽道の術によって、それらの不吉なものを封じているのです。
京都で北東角が取られているのは、鬼門の角(つの)を取ってしまえば、鬼が入ってこられなくなるという陰陽道の思想によるものです。
角(かど)を取ることによって、鬼の角(つの)を取ることを意味しているのです。
もう少し分かりやすく言えば・・・・
鬼の角を取ってしまう(北東角をとってしまう)ことで、鬼の侵入を防いでいるということになります。
ちなみに、陰陽道で北東は「艮(うしとら)」つまり「丑寅」ですが、鬼のパンツが虎柄なのも、この陰陽道の思想によるものです。
京都御所の北東角はなぜ「猿ヶ辻」と呼ばれるのか
では、京都御所の北東角はなぜ「猿ヶ辻」と呼ばれるのでしょうか。
実はよくよく見ると猿がいます。
猿ヶ辻と呼ばれる理由は「神猿(まさる)」がいるからです。
神猿(まさる)というのは、鬼門で鬼が来るのを見張る役割をもった猿のことです。
手には「御幣(ごへい)」を持ち、頭には「烏帽子」を被った猿がいるのですが、御幣(ごへい)は神の依代であり、鬼が現れたら神様に知らせて呼び寄せるために御幣を持っています(猿は非力なので見張りしかできません)。
この神猿(まさる)、京都にはいくつか存在するのですが、烏帽子を被っているのは京都御所に近い場所だけで、天皇に近い場所なので烏帽子を被って正装していると言われています。
なぜ、猿が京都を鬼から守っているかも陰陽道による考え方です。
陰陽道では北東を「陰」とし、それに対抗するには「陽」を当てれば良いと考えたのです。
つまり対局である「申(さる)」を当てることで効果を高めようとしたのが、北東角に猿(神猿)がいる理由なのです。
京都御所の北東角(猿ヶ辻)はなぜ凹んでいるのか(まとめ)
平安京を造営した桓武天皇はあらゆる災いから都(みやこ)を守るために陰陽道を駆使しました。
平安京内宮の北東には「晴明神社」を配置、さらに「上御霊神社」や「下鴨神社」や「狸谷山不動院」に「比叡山延暦寺」などありとあらゆる結界を設けています。
そうすることで、京都を災いから守れると信じられていたからで、今の京都でもその時代の名残を見ることができるのです。
最も有名なのが今回紹介した「京都御所にある猿ヶ辻」です(御所は幕末の建物です)。
京都の個人宅でも北東角に「いけず石」のように置かれた植木鉢を見ることがあります。
その植木鉢には縁起が良いとされる南天や、トゲのある柊、もしくはどっちの名前を持つ南天柊(なんてんひいらぎ)が植えられていたりします。
これも実は・・・・
鬼門封じなんですよ。
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