旭米(旭1号)@京都・向日市「入手困難な幻のお米」をご存知ですか

京都では「旭米(旭1号)」という品種の米がかつて栽培されていました。戦後すぐには西日本一帯で一番多く栽培されていた京都発祥の米で「西の旭米」と呼ばれるほど流通していました。この「旭米(旭1号)」をルーツにした米はおいしい品種が多く「コシヒカリ」も旭米を先祖にもつ品種なのです。

では、この「旭米(旭1号)」とはどのようなコメなのでしょうか。

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京都にはコシヒカリのルーツとなる米がある


「コシヒカリ」や「ササニシキ」のルーツ、京都の「旭米(旭1号)」

「コシヒカリ」や「ササニシキ」のルーツ、京都の「旭米(旭1号)」

京都では昔「旭米(旭1号)」というお米が栽培されていました。

このお米はおいしいと評判になって、またたく間に全国で栽培されて「西の旭米」とまで言われるようになった京都が発祥の米です。

戦後すぐの昭和20年代後半に、栽培しやすい他の品種米に切り替わるまで、京都の「旭米」は日本全国で食べられていたお米なのです。

実は、有名な「コシヒカリ」や「ササニシキ」も、ルーツをたどると京都の「旭米」にたどりつくのです。

では、この「旭米(旭1号)」とはどんなお米なのでしょうか。

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旭米(旭1号)とは


京都の向日市にある「旭米顕彰碑」

京都の向日市にある「旭米顕彰碑」

この「旭米」を発見したのが「山本新次郎」という京都・物集の農家です。(物集=もずめ)

山本新次郎は、1909年に自分の田んぼで育てていた米「日の出」と「神力(しんりき)」の中から変異した品種(倒伏に強い稲穂)を発見するのですが、それが「旭米(旭1号)」でした。

この品種を彼は最初に「朝日」と名付けます。

日の出」の田んぼから見つけたので、日の出より優れた「朝日」という名前にしたと言われていますが、すでに同じ名前の品種があったことから、1911年に「旭(あさひ)」という名前に変更されています。

・京都が発祥の米
・品種「日の出、神力」の中から倒伏に強い稲穂を選別(1909年)
・新品種「朝日」と名付ける(日の出から朝日へという願い)
・他に「朝日」という米があったので「旭(京都旭)」に変更(1911年)
・京都農業試験場が「旭」の中から純系のみを選び「旭1号」と正式に品種(原種)登録(1915年)
・京都府の奨励品種に指定(1920年)

※旭1号は他の米と掛け合わされていない原種米として登録されました。

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旭米(旭1号)は西の「旭米」、東の「亀の尾」と呼ばれるまでになる


旭米(旭1号)は西日本一帯で作られるほど評判の良いお米でした

旭米(旭1号)は西日本一帯で作られるほど評判の良いお米でした

この「旭米(旭1号)」は、粒が大きく味が良いと評判になり、この種籾を(たねもみ)を全国の農家が求めるようになりました。

そして、この「旭米」を品種改良して新たなお米が作られていきます。

1939年には西日本で主力であった品種「神力(しんりき)」を抜き、西日本では純系分離米など含めて「旭米」が作られるようになっていきます。

さらに、旭米を親にして品種改良がおこなわれて「コシヒカリ」や「ササニシキ」といった品種が生まれていくのです。

・旭米は西日本一帯で栽培されるようになった
・おいしいお米のルーツをたどると「旭米」へ行きつく

さて、ここまでが「どこでも書いている旭米の話」です。

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呪われた「旭米」


旭米(旭1号)の記録には残っていない話もあります

旭米(旭1号)の記録には残っていない話もあります

これまで書いたことは、旭米の解説としてどこでも書いている一般的な話です。

しかし、本ブログでは「旭米」を発見した「山本新次郎」の親戚に話を聞いてきました。

山本新次郎は良く言えば「親切」な人物だったそうですが、悪く言えば「お人好し」だった人で、なんでもかんでも他人に分け与えるような方だったそうです。

しかし、それが家族には不評で、山本新次郎は息子の手にかかり、品種を発見した10年後に亡くなってしまうのです(1918年)。(銃説と斧説がある)

そのため、発見者の山本新次郎は「旭米(旭1号)」が一大ブームになったのを、その目で見ることができませんでした。

ちなみに、山本新次郎は養子なのですが、その山本新次郎の息子も養子だったそうです。

・発見者の山本新次郎は発見から10年後に亡くなっている
・亡くなった理由は養子の息子にホニャララされたから
・そのため山本新次郎は旭米がブームになったのを見ることはなかった

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旭米(旭1号)まとめ


京都府向日市物集女の田んぼ

京都府向日市物集女の田んぼ

前述しましたが、旭米(旭1号)は昭和20年代後半に、栽培しやすい他の品種米に切り替わって生産する農家はなくなっていきます。

この時代に、コンバインの導入が始まり、機械で稲刈りをするには適さない品種ということで栽培されなくなっていったからです。

脱穀しやすい品種なので稲刈り時に、稲から穂が落ちてしまうからです。

京都でも今は山本家の親戚である清水家によって、種籾の栽培が行われているだけで「旭米」を食べることができず「幻の米」となってしまいました。

旭米は全国に普及していたので、その種籾で今でも個人的に栽培されていたりするので、旭米がまったく入手できないといわけでもありません。

ただ、それらは所詮は「未検査米」なので「旭米」とは言い切れない場合もあります。

・旭米(旭1号)は昭和20年代後半に作られなくなった
・京都では山本家の親戚である清水家が研究所から取り寄せた旭米を栽培している
・全国にはまだ個人的に栽培されている方もいる
・ただし、それは未検査米なので「旭米」とは名乗れない場合もある

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岡山では旭米の純系分離米「朝日米」の通販が可能


岡山の「朝日米」は、京都の「旭米」から選別された品種

岡山の「朝日米」は、京都の「旭米」から選別された品種

岡山では、この「旭米」を取り寄せて推奨米としますが(1922年)、岡山にはすでに旭という品種があったため「朝日米」という名前に変更して栽培を始めます。

さらに、岡山ではこの「朝日米」を純系淘汰していき優良な品種を「朝日47号」として普及させて、これが岡山では「朝日米」と呼ばれ今でも生産されています。

こちらは一般的に流通しているお米なので、通販でも入手が可能です。

粒が大きいので「寿司米」などに使われたりしています。

・岡山では「朝日米」として推奨米になっている
・大粒で寿司米に合うとされている