京都でモノスゴイ展示会が開催されています。その名も「コンティニュー」、城陽市にある「城陽市歴史民族資料館」で開催されている展示会イベントです。そこで展示されているものは「ゲーム機」で、1980年代の往年の携帯ゲームや家庭用TVゲームからパソコンまでが「これでもか!ってくらい展示されて」いるのです。
これは京都のゲーム好きは絶対見たい展示会です。
城陽市歴史民族資料館で「CONTINUE(コンティニュー)」が開催中
今回は、京都府城陽市で開催されているイベント「CONTINUE(コンティニュー)」を見に行って来ました。
いったい何のイベントかというと・・・・
ゲーム機の展示イベント
なんです。
90年に及ぶ日本のゲーム機の歴史を展示した特別展で「城陽市歴史民族資料館」で開催されているものです。
会場には、ゲーム史に名を残す往年のゲーム機がズラリと並んでおり、子供の頃に遊んだ懐かしいゲーム機をたくさん見ることができるという、非常に貴重な機会を与えてくれているイベントと言えます。
スペースインベーダー(昭和53年)、ATARIのビデオゲーム(昭和51年)、ゲームウォッチや光速船といった昔遊んだ懐かしすぎるゲームが所狭しと置かれていて、飽きることなく全部をひとつひとつ見てしまいましたが、今回はその中から気になったゲーム機をいくつか紹介したいと思います。
・昭和50年~のゲーム機が所蔵されている
・2018年7月7日~9月2日まで開催
・入館料は200円
・城陽市歴史民族資料館(文化パルク4階)で開催
タイムギャル
いきなりゲーム機というかゲームですが、1985年にTAITOが発売したアーケード(家庭用プレイヤーでも遊べた)「タイムギャル」です。
いわゆる「LDゲーム」というジャンルですが、レーザーディスクにフルアニメーションが記録されており、それをプログラムで制御させてアクションゲームに仕立てたものです。
主人公「レイカ」が悪の組織を追ってタイムワープを繰り返すのですが、画面の一瞬表示される矢印やボタンの通りに操作するとレイナが攻撃を避けて次に進んでいくというシステムです。
家庭用のLDプレイヤー版も発売され、写真のはそのLDプレイヤー版です。
もちろん、これで遊んだことがあるのですが、当時はこんな単純なゲームでもクリアが難しくて反射神経が追いつかなかった記憶があります。
米国ATARI社の筐体ゲーム機
次に気になったのは「筐体ゲーム機」です。
日本のゲームの歴史は、米国ATARI社の筐体ゲームが入って来て始まったのですが、この頃はまだゲームブームの夜明け前という頃でした。
一番左が「ナイトドライバー」というレーシング・ゲーム、二番目は「ATARI VIDEO GAME」と書かれた筐体で、トラックボールで遊べるゲームがインストールされていたものです(マーブルマッドネス等)。
一番右のはタイトーの「スペースインベーダー」、これは筐体版ですが、テーブルゲーム筐体になって全国に喫茶店に普及したことから第一次ゲームブームが起こります。
いずれもかなり古いゲームで、小学生低学年くらいに遊んだゲームです。
光速船
誰もが欲しがった「光速船」はバンダイが1983年に発売した家庭用ゲーム機なのですが、従来のテレビに接続して遊ぶのではなく、テレビが付いたゲームでした。
カラーではなかったのですが、カッコいい宇宙戦のゲームなんかがあって、小さい頃にカタログをまじまじを見つめていた思い出があります。
ソフトもカセット式で、1カセットが5800円くらいで発売されていましたのですが、筐体はもっと高くて当時ではこれを持っていればステータスみたいなゲーム機でした。
元は米国のGCE社が開発・販売したものをバンダイが日本向けにローカライズしたものです。
写真のものは、コイン投入口とかカバーが付いてますが、ゲーセンにこれを設置してプレイできるようになっていたのです。
まだまだ家庭用ゲーム機というものが敷居が高い時代だったので、家庭用ゲーム機がゲーセンにあったりしたので、私もそれで光速船をプレイしたことがあります。
カセットビジョン
1981年にエポック社が発売していたシリーズで「カセットビジョン、スーパービジョン、クリエイトビジョン」などのバージョンがありました。
テレビに接続するタイプのゲーム機で「カラー対応、ゲームカセット方式」と今でも普通に使われている技術がこの時代にはすでにあったわけです。
とはいえ、今と違うのはゲームカセットにゲームを制御するLSIが実装されていたことで「カセットビジョン」自体は単なるコントローラーでしかないという方式を採用していました。
PC-8201
1983年に販売されたパソコン「PC-8201(NEC)」です。
この頃はまだプログラム電卓というものがあって、PC-8201は液晶画面が広く、キーボードも大型化してパソコンに近づけたプログラム電卓みたいな存在でした。
1981年頃には今で言うパソコン(FM-8)が発売されていたので、ジャンルとしてはPC-8201は今でいうノートパソコンです。
外でもプログラムしたゲームが出来るということで、この時代は常にプログラム電卓を持ち歩いていたものです。
X68000、X1twin
どちらもシャープのパソコンで左が「X68000(1987年)」、右が「X1twin(1987年)」です。
この時期になるとパソコンも、かなり熟れたものが多くなってきており、今でも遊ぶのに遜色がないほどのゲームが数多く発売されていました。
「X68000」といえば、ナムコの「ゼビウス」で、ゲーセンにあったゼビウスとまったく同じ水準のものが遊べるということで話題となりました。
「X1twin」は「SHARP X1」に家庭用ゲーム機「PCエンジン」が一緒の筐体になったものでした。
富士通 FM-8、FM-7
1981年に富士通初のパソコンとして発売された「FM-8」です。
パソコンモニタに接続してプログラムができるパソコンでしたが、あまり普及することはありませんでした。
しかし、これを改良した「FM-7」が1982年に発売されると大ヒットして、NEC・富士通・SHARPはパソコン御三家と呼ばれるようになります。
この頃が一番のパソコンブームで、一家に一台のパソコンが当たり前になると言われ始めた頃でした。
私は、SHARP「X1シリーズ」ユーザーで、メジャーなゲームがすぐ発売される「FM-7」のパソコンが羨ましたかった記憶があります。
富士通:FM-7
SHARP:X1シリーズ
PC-6001
この1980年代初頭は、1年でPC性能が飛躍的にアップするような時代でした。
1981年に発売された「PC-6001」は、基本性能も低く、キーボードも小さくて「消しゴムキーボード」と揶揄されていた機種ですが、1983年には「PC-6001mkII」、1984年には「PC-6601SR」と高性能化が図られて、一気に国民的マシンの地位を獲得したパソコンです。
性能が低くかったのですが、比較的安価なパソコンだったことも普及したひとつの要因でした。
任天堂が初めて発売したコンピューターTVゲーム
京都で花札やトランプを製造していた「任天堂」は町の小さな会社でしたが、1977年に「カラーテレビゲーム15」と「カラーテレビゲーム6」という三菱電機との共同開発した家庭用ゲーム機を発売します。
その後、1978年にアーケードゲームの世界に参入してオセロゲームを開発。
そのオセロゲームを家庭用ゲーム機にしたものが、下の写真「コンピューターTVゲーム」というゲーム機で、1980年に発売されました。
1980年は「ゲーム&ウオッチ」も発売されるなど、任天堂が一気にゲーム産業で攻勢をかけた年でもあります。
その後、1983年に「ファミリーコンピュータ」が発売されて、これが大当たりして一家に一台あるという家庭用ゲーム機の王者とも言える会社に成長していくのです。
マイコンブームの先駆け「ゲーム&ウオッチ」
1980年に「マイコンゲーム」という言葉が広まっていきます。
カートリッジ式ではなく、ひとつのゲームしかできない携帯型のゲーム機が数多く発売されるのですが、総称として「マイコンゲーム」と呼ばれていました。
その先駆けが任天堂の「ゲーム&ウオッチ」です。
旅行にも持っていける携帯用ゲーム機ということで、電車の中で「ボール」などで遊んだものです(お手玉ゲーム)。
・ボール
・ファイア
ザクソン(ZAXXON)
1980年に任天堂が発売した液晶ゲーム「ゲーム&ウオッチ」がヒットすると、他社も追随するように新商品を開発していきます。
1982年にセガが発売した「ザクソン(ZAXXON)」は、携帯ゲーム機でスクロールシューティングが楽しめたゲーム機で、これがまたよく売れました。
ジョイスティックに攻撃ボタンが付いており、戦闘機で戦車を攻撃していくゲームで、内容はものすごく単調なのですが、これがまた面白かった記憶があります。
大脱走(LCDソーラーパワー)
1982年になると携帯ゲーム機の液晶にカラーで色を付けたゲーム機が主流になってきますが、携帯用ということを考慮して太陽光発電でゲームができるシリーズも発売されてきます。
バンダイが発売した「LCDソーラーパワー」シリーズの「大脱走」は化粧のコンパクトのような見開き式の携帯ゲームで、LCDを太陽電池で遊べるようにしたものです。
とはいえ、まだ性能が良くなくて、日陰で遊ぶと途中で電池切れになるという「何のためのソーラーパワーなのか」と子どもながらに思ったものでした。
ミサイル・インベーダー(バンダイ)
1980年は液晶ゲーム(LCD)も多かったのですが、LEDを使った携帯ゲームも多くありました。
1979年にインベーダーブームが起きたのですが、その影響もあってLEDのインベーダーゲームはたくさん発売されています。
上の写真はバンダイの「ミサイル・インベーダー」という携帯ゲームで、音楽も良くて、デザインもSF風でカッコいいものでしたが、ゲーム自体が面白くて、これが一番ハマったゲーム端末だったかもしれません。
インベーダーゲームは携帯ゲームだったり、少しサイズの大きいものもありました。
写真の右に白いゲーム機がありますが、これはエポック社の「デジコムベーター」というゲーム機です。
インベーターゲームなのですが、色のついたセロファンが画面にはられておりカラーLEDゲームになっていました。
敵数も多く表示され、インベーダーゲームに一番近いゲームだった記憶がありますが、これも持っていました。
マイコンベースボール 盗塁王
今回の展示物で一番「オォォォ」となったのが・・・・
名機「マイコンベースボール 盗塁王」です。
LEDの点をボールに見立て、タイミング良くバットボタンを押すと、ルーレットのように「ヒット、アウト、ホームラン」という判定が入るのですが、対戦ゲームになっていたのです。
この時代はまだ対戦ゲームってほとんどなかったので、友達とよく遊んだ「マイコンベースボール 盗塁王」が見られたのはラッキーでした。
CASIOゲーム電卓 ベースボール(BB-9)
この携帯ゲーム全盛の時代、1980年に電卓を販売していたカシオは「電卓画面をゲームにした ゲーム電卓」という商品を発表していきます。
その中でも一番おもしろかったのが「ベースボール(BB-9)」で、この電卓を持ち歩いて暇があればゲームで遊んだものです。
とはいえ、液晶画面で表示できるのは電卓機能の範囲内でしかなく、記号をボールに見立てたりして遊ぶというゲーム機でした。
この時代は、プログラム電卓(PC-1245)などもあって、BASICやニーモニック言語で電卓の画面を使ったゲームを作って遊ぶユーザーも多い時代だったので、CASIOゲーム電卓は何の違和感なく受け入れられていました。
1970年代に遊んだレトロゲームたち
さて、この城陽市で開催されている「コンティニュー」という展示会ですが、パソコンや携帯ゲームだけの展示ではありません。
1970年代、まだTVゲームが普及していない時代(存在はした)に遊んだゲームといえばテーブルゲームなどのレトロゲームです。
パズルのように穴の空いた板の上に自分の色のボール置いて、先に相手の色のボールを落とした方が勝ちというゲーム「沈没作戦ゲーム」も展示されていて、これは「懐かしすぎる」と思ったほどです。
こういう1970年代に遊びまくったゲームも展示されており、懐かしい気分になる方は50歳近いかそれ以上の方ですね。
城陽市歴史民族資料館「コンティニュー」まとめ
京都府城陽市の城陽市歴史民族資料館で開催されている「コンティニュー」は、1970年頃から最近までのゲームを集めまくった展示イベントです。
特に1980年代、今45歳以上で60歳未満くらいの方が大いに遊んだゲームが大量に展示されています。
この時代にゲームで遊んだ方々に特にオススメだし、若い世代にも昔のゲームってどんなのだったかが分かるイベントになっています。
入館料は200円、駐車場も裏手に有料ですが広いのがあるし、そこに駐輪場もあるので行くのは難しくありません。
ぜひ、見に行ってもらいたい展示イベントだと思います。
入館料:200円
開催期間:2018年7月7日~9月2日まで開催
開催時間:10時~17時(入館は30分前まで)
休館日:7月9・17・18・23・30日、8月6・13・14・20・27日は休館
URL:http://www.city.joyo.kyoto.jp/rekishi/
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