方広寺と東福寺の消えた大仏 京都の幻の大仏が9/23『歴史秘話ヒストリア』で紹介

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9/23放送『歴史秘話ヒストリア』で京都が紹介されます。テーマは「京都 まぼろし大仏の旅」となっており、今から400年以上前の京都で鎌倉や奈良より大きな大仏が造られたという歴史を扱う予定です。

では、この京都の幻の大仏というのは、いったいどこにあったのでしょうか?

京都・方広寺にあった幻の大仏(大仏殿)

京都で大仏というと平等院鳳凰堂の「木造阿弥陀如来坐像」です。これは歴史が古く1000年前からあります。

しかし、かつての京都には他にも大仏がありました。

・大仏殿(方広寺)
・東福寺大仏

9/23放送『歴史秘話ヒストリア』の予告では、そのひとつの天台宗山門派「方広寺」近くにある「大仏殿跡」に行ったことがわかります。

「大仏殿跡」は、東山区にある「豊国神社」の隣にあり、今でも「大仏殿跡地」として残っています。

大仏は高さは18メートルほどあったといわれますが、完成の翌年に消失しています。

京都の大仏殿(方広寺大仏)建立のきっかけ


写真は奈良東大寺の大仏殿

写真は奈良東大寺の大仏殿

1595年(文禄4年)に豊臣秀吉の命により、この地に大仏が建立され「大仏殿」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、1586年(天正14年)と書かれている資料もありますが、それは豊臣秀吉が大仏殿を建立しようと発案した年です。

それより前の1567年(永禄10年)に奈良の東大寺大仏が戦国の争乱で消え去っており、それに代わる京都の大仏の建立を豊臣秀吉が行ったのです。

1567年(永禄10年) 奈良の東大寺大仏が戦国の争乱で消える
1586年(天正14年) 豊臣秀吉が大仏殿を建立しよう発案
1595年(文禄4年) 大仏殿完成(木製で金漆塗の大仏)
1596年(慶長元年) 地震で倒壊
1612年(慶長17年) 豊臣秀頼が再建(銅製)
1798年(寛政10年) 落雷で消失
1973年(昭和48年)木造の小さい仏像があったがまた消失

方広寺(ほうこうじ)

ずいぶんと小さくなっていますが、現在でも大仏はあります

徳川家が豊臣家を滅ぼすきっかけともなった「国家安康・君臣豊楽」の鐘があることで知られています。

「国家安康・君臣豊楽」の鐘

「国家安康・君臣豊楽」の鐘

京都府京都市東山区茶屋町527−2
本堂拝観料:200円
拝観時間:9時~16時

東福寺大仏


京都の東福寺

京都の東福寺

東福寺は有名な観光名所でもありますのでご存じだと思います。

その東福寺にも、かつて大仏があったとされています。

東福寺の名前は奈良最大の大寺と、奈良で勢力を誇った興寺の2文字を使ったというのは有名は話ですが、東大寺も興福寺も大仏があって、当然のように東福寺にも大仏があったのです。

1243年に建立されたと言われますが、1881年(明治14年)にこれも消失してしまいます。

今では左手だけ残っています。

京都府京都市東山区本町15丁目778
URL:http://www.tofukuji.jp/

補足:「消失」と書いていますが正確には別の漢字です。わざとそのようにしています。


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