大江山鬼退治 @京都 鬼の正体、そして鬼が生まれた理由

歴史秘話ヒストリア』で京都府福知山市大江町に残る伝承「大江山鬼退治」が紹介されるそうです。大江山の鬼退治は大江町の「鬼ヶ茶屋」に伝わる木版刷りの本『大江山千丈ヶ嶽酒呑童子由来』が一番有名で、大江町には鬼退治をした源頼光とその部下である四天王、討たれる鬼である酒呑童子ゆかりの地がたくさんあります。

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大江山鬼退治が『歴史秘話ヒストリア』で特集されます(2020年12月9日)


福知山市大江町にある鬼の像

福知山市大江町にある鬼の像

2020年12月9日放送『歴史秘話ヒストリア』で、京都府北部にある大江山の伝説「大江山鬼退治」が取り上げられます。

テーマは「大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」で、鬼の王・酒呑童子(しゅてんどうし)を討った源頼光(らいこう)の物語を検証する内容です。

日本では古来から「鬼退治」が伝承として残っていますが、京都で有名な鬼退治の伝承は2つあります。

(1)大江山鬼退治伝説
(2)一条戻橋での鬼退治伝説
頼光の腰掛岩(大江町)

頼光の腰掛岩(大江町)

今回の『歴史秘話ヒストリア』で取り上げられるのは京都府福知山市大江町に伝わる「大江山鬼退治」です。

その内容は、源頼光とその部下である四天王「渡辺綱(一条戻橋で鬼退治した髭切丸が有名)、坂田金時(金太郎のモデル)、碓井貞光卜部季武」が大江山に潜んでいた鬼の頭領である酒呑童子(しゅてんどうじ)を討つというお話(伝承)になっています。

鬼の足跡(大江町)

鬼の足跡(大江町)

京都府福知山市大江町には「大江山鬼退治」の伝承やゆかりの地が数多く残っています。

有名なものは「頼光の腰掛岩」や「鬼の足跡」など、鬼の住処であった「大江山」もあります。

『歴史秘話ヒストリア』ではこういった名所も紹介されそうです。

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大江山鬼退治伝説について


大江山絵詞(えことば)

大江山絵詞(えことば)

ここで、少し大江山鬼退治伝説について書いておきましょう。

大江山鬼退治伝説はあくまでも作り話ですが、大江山に住んでいた鬼(酒呑童子)を退治するという物語です。

最古のものは室町時代初期の書『大江山絵詞(えことば)』であり、これは千葉県香取市にある香取神宮の宮司家に伝わっていた本です。

能の謡曲「大江山」

能の謡曲「大江山」

御伽草子(絵入り本)

御伽草子(絵入り本)

この鬼退治のお話は当時も人気があったようで、室町時代には能の謡曲「大江山」として演じられたり、室町時代後半の説話を集めた書「御伽草子(絵入り本)」により民衆にも広まっていったそうです。

ベースとなっているのは中国唐代に書かれた伝奇小説「白猿伝」ではないかとも言われていますが、なにかを退治するという(今で言う)ヒーロー物の話として日本中に伝わったようです。

「御伽草子」では現在の福知山市大江町にある大江山が舞台とされる

「御伽草子」では現在の福知山市大江町にある大江山が舞台とされる

京都市西京区大枝沓掛町「老の坂 首塚大明神」も大江山ではと言われている

京都市西京区大枝沓掛町「老の坂 首塚大明神」も大江山ではと言われている

作り話であるため、その内容は個々異なっていて謡曲「大江山」では京都市西京区大枝沓掛町にある「老の坂(大枝山)」が大江山だとされていたり、「御伽草子」では現在の福知山市大江町にある大江山がそれだとするなど細かいところで内容が違っています。

そのため「大江山」の所在地には諸説あるということになります。

大江山千丈ヶ嶽酒呑童子由来

大江山千丈ヶ嶽酒呑童子由来

『歴史秘話ヒストリア』で取り上げられる「大江山鬼退治」は福知山市大江町にある大江山です。

大江町にはこの「大江山鬼退治伝説」に関する場所が多く存在していますが、当時の人々がお話である「大江山鬼退治」を好み、地元に根付かせていった結果「鬼退治に関係する場所」が増えていったと思われます。

この大江町に伝わる「大江山鬼退治」は鬼ヶ茶屋に伝わる木版刷りの本『大江山千丈ヶ嶽酒呑童子由来』が有名で、『歴史秘話ヒストリア』の「大江山鬼退治」はこの本の内容が紹介されるはずです。

鬼ヶ茶屋

鬼ヶ茶屋

この『大江山千丈ヶ嶽酒呑童子由来』によると平安時代中期に京の都を脅かす鬼がいて、それが酒呑童子です。酒呑童子は源頼光とその部下である四天王に退治されるのですが、その切っ掛けは都で起きた災害が原因です。

一条天皇の頃(989年8月7日)に都では急な強風が吹き荒れ、民家や寺社仏閣の屋根が飛ぶなどの被害があったとされています。

朝廷で審議をしたところ、安倍晴明は「西山に鬼が住んでおり朝廷に盾突いている」と占い、丹後の藤原保友は「大江山に酒呑童子という賊がいるのですぐに討つべきだ」と進言します。

話の展開が突拍子ないのですが、それにより朝廷は源頼光と子の頼国に勅令を出して鬼退治へと向かわせます。

山伏に扮した源頼光と部下の四天王

山伏に扮した源頼光と部下の四天王

源頼光の軍勢は1400騎、部下である四天王「渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武」と共に現在の福知山市にある鬼ヶ城へと向かいます。

しかし、相手は「」ということもあり、一行は神仏の助けを得るべく八幡・熊野・住吉の三神に祈願すると、八幡の神が夢の中で「小勢で奇策を用いよ」と神託を下すのです。

息子である源頼国が大江山に進軍する間に源頼光と四天王は帰るふりをして山伏の姿に変装して990年3月21日に丹波へ入り酒呑童子の本拠地へ潜入。

神の力で鬼が飲むと動けなくなるというお酒を持ち込み、酒呑童子に一晩泊めて欲しいと頼み込みます。

酒呑童子は酒につられてそれを受け入れ宴が催されるのですが、酒を飲んだ酒呑童子は動かなくなります。その隙に源頼光と四天王は鬼を討つという物語です。

鬼の首は怒り「禁廷に飛び恨みを晴らさん」と都へと飛んで行くのですが、途中の丹波山城境の大江の坂に落ちたとされています。

源頼光たちは、その後に鬼ヶ城も攻めて、都に凱旋。

落ちた首を七条河原で七日間さらした後に大江の坂に埋葬し「首塚明神」と名付けたとなっています。

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鬼の正体と鬼が生まれた理由


大江山の鬼の正体とは何だったのか?

大江山の鬼の正体とは何だったのか?

では、大江山の鬼の正体とは何だったのでしょうか。

物語では酒呑童子が自分のことを「越後の国のもので、子細あって大江山に住んでいる」と語っています。

また「自分はこんな夜叉ごとき姿だが、木や石とは違って、血も涙もある人間だ」とも言っています。

いわゆる鬼というのは時の権力に逆らう地方の豪族を勝者の側が悪者のイメージとして伝えたものでしかありません。

酒呑童子の出生についても諸説ありますが、越後・新潟県分水町に酒呑童子の出生伝承がいくつも残っているので新潟生まれの人物であったとされています。ただ、滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山にも出生伝説があります。

伊吹山系酒呑童子の話としては『酒伝童子絵巻』というのがあり、鬼退治の話が各地に伝わるにつれ内容も地元向けに変化しているのが分かります。

いずれにおいても悪事を行っていた者と描かれており、鬼退治という話が当時でも人気であったことがうかがえます。

※写真は京都府福知山市の「日本の鬼の交流博物館」とその周辺のものです。

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麻呂子親王(まろこしんのう)の鬼退治伝説


麻呂子親王の鬼退治伝説の最古の絵画が残る清園寺

麻呂子親王の鬼退治伝説の最古の絵画が残る清園寺

実は大江山を中心として丹後全域にはもうひとつの鬼退治伝説があります。

それが「麻呂子親王の鬼退治伝説」です。

麻呂子親王は聖徳太子の弟で、源頼光の時代より以前のお話として伝承が残っているのです。

親王の仏像や所持品に従者の末裔の家などが残っていたり、大江町の清園寺には麻呂子親王の鬼退治伝説の最古の絵画が残ってもいます。

ただ、この麻呂子親王の鬼退治伝説は丹後地方でのみ伝わる内容であまり知られてはいません。

大江山鬼退治」との類似点も多いなど、この伝説が「大江山鬼退治」のベースとなったと考える学者もいます。

大江山鬼退治の舞台が丹後地方であることを説明するひとつの説が、この「麻呂子親王の鬼退治伝説」の存在です。

2021年5月15日放送の『世界ふしぎ発見!』でも、福知山市大江町の「日本の鬼の交流博物館」が紹介されるそうです。そちらの記事もありますので、ぜひご覧ください。

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歴史秘話ヒストリア 2020年12月9日 予告


歴史秘話ヒストリア 2020年12月9日 予告は以下の通りです。

最近注目されている“鬼”の謎に迫る。京都府の大江山には、いくつも鬼退治の伝説が残されている。そこから見えてきた、鬼の正体、そして鬼が生まれたわけとは?
最近注目されている“鬼”がテーマ。京都府北部の大江山には、昔からいくつも鬼退治の伝説が残されている。最も有名なのは、都で悪逆非道を働いた鬼の王・酒呑(しゅてん)童子を討った源頼光(らいこう)の物語。さらには飛鳥時代、聖徳太子の弟・麿子親王による鬼退治も。番組では、鬼退治を伝説と史実の両面から徹底検証。鬼の正体、そして鬼が生まれたわけとは?その謎に迫る。